萬国パクランカイ(25)
■サー・エドワード・コーリー・バーン=ジョーンズ(Sir Edward Coley Burne-Jones, 1833年8月28日~1898年6月17日)
イギリスの美術家。ラファエル前派と密接な関係を持つデザイナーで、ラファエル前派をイギリス画壇の主流に押し上げた。同時に、自身も数々の精巧で美しい芸術作品を作り上げた。
パーミンガム生まれ。1853年、オックスフォード大学のエクセター・カレッジで神学を学ぶ。そこでウィリアム・モリスと出会った。2人とも将来牧師になるつもりだったが、ラスキンの思想や中世ゴシックの建築・美術に興味を抱き、別の道へ進んでいくことになった。1855年、ロンドンでロセッティやラファエル前派の作品に接する。その年の夏、バーン=ジョーンズとウィリアム・モリスはフランスを旅行する。そこで、決定的に牧師の道を辞め、芸術の道を選択した。バーン=ジョーンズはバーン=ジョーンズは画家、モリスは建築家になることを決めた。1857年、ロセッティがオックスフォード・ユニオン・ディベイテング・ホールの天井画「アーサー王の死」を制作していた。バーン=ジョーンズとモリスもこれに参加する。ここから第二次ラファエル前派が形成されていく。こちらは1961年に創設された「モリス=マーシャル=フォークナー商会(絵画・彫刻・家具・金属細工の美術職人集団)」へと移行し、「美術と工芸の運動」へと発展していく。1859-73年の間、4回イタリアへ旅行する。マンテーニャ、ボッティチェリ、ミケランジェロの影響を受けた。1877年、グロブナー・ギャラリーが新設された。そこに作品を展示してから、人気が出た。1861年から「モリス=マーシャル=フォークナー商会」参加。これはウィリアム・モリス、ロセッティらとともに、装飾工芸品の工房である。バーン=ジョーンズもそこにステンド・グラスやタピストリーのデザインを提供した。
さて、青木繁さんをいろいろ調べていて・・・
■第16回青木繁記念大賞公募展には、全国の568人が798点を出品。美術評論家でいわき市立美術館館長の田口安男審査委員長をはじめ、3人の審査委員が慎重に審査を行った結果、大賞は渡辺幸子さん(神奈川県鎌倉市)の「影I」が選ばれました。審査委員は、「全体的に近年にないハイレベルな作品が多く、実力伯仲。作品全体が洋画の原点へ戻りつつあります。大賞作品は、実態よりも影を描いており、視点の面白さや遠近法など、表現技法にも工夫が見られます。明と暗の二極化も表現しており、現在の世相を表しています。新鮮さや面白さ、作品の構成はやはり大賞作品にふさわしい」と高く評価されました。
■渡辺幸子(ワタナベサチコ)
画家。神奈川県鎌倉市生まれ。幼いころから絵の世界にふれ、フェリス女学院、ICU国際基督教大学に在学した後、日本航空のCAとして活躍。結婚後、1969年からロンドンに数年間滞在。子育ての傍ら絵筆を握り、1984年の鎌倉朝日大賞展 大賞、1996年の鎌倉美術家協会展 馬渕聖賞、1998年の笹りんどう賞、1997年の熊谷守一大賞展 佳作賞、2005年の青木繁記念大賞展 大賞、2009年の神奈川県展 特選など、数々の賞を受賞。これまでに、14回の個展を開催し、作品は、鎌倉市、石橋財団石橋美術館、北里研究所、横須賀共済病院等に収蔵されている。新制作展所属、横浜美術協会会員、神奈川県女流美術家協会会友、鎌倉美術家協会会員、日本美術家連盟会員。
・・・私が何を言いたいのか、おわかりですよね。