萬国パクランカイ(22)
■天狐(てんこ)
神獣のひとつ。狐が1000年生きると天狐になれる。千里の先の事を見通す。尾の数は九本とも。野狐、気狐のように悪さをすることはない。さらに生きて、3000歳を超えると空狐となる。江戸時代には狐の最上位とされ、江戸末期の随筆『善庵随筆』や『北窓瑣談』では天狐・空狐・気狐・野狐の順とされた。また、『日本書紀』で舒明天皇9年(637年)の大流星のことを「天狗」と書いて「あまつきつね」と読んでいることから、『善庵随筆』には天狐を天狗と同一のものとする説も述べられている。なお、伏見稲荷大社の一ノ峯には、名を「小薄」という雄の天狐が、末廣大神として祀られている(ただし、狐はあくまで稲荷神の神使であり、稲荷神ではない)。長崎県の小値賀島では天狐は憑き物とされ、これに憑かれた者には占いで何でも言い当てるなどの神通力が備わるという。
■天狐舞
主に五穀豊穣を祈るもの。耕す動作を真似たものが中心で、見ていると確かにそう思わせる。狐はお稲荷さま、稲の精霊の御使いだからもっともな事である。さらに狐に天をつけることで、神様の使いであることをしめしている。その姿は、面を始め、衣装も白を基調とした清らかさを感じる。
■川越祭り「天狐の舞」
川越まつりの起源は、慶安元年(1648)、当時の川越藩主松平信綱が神輿2基と獅子頭、太鼓などの祭礼用具を川越氷川神社に寄進し、江戸の「天下祭」にならって「神幸祭」を興したことに始まると伝えられています。神幸祭は神輿に召された氷川大神が氏子の町々を訪れる伝統儀式です。この神幸祭に各町内が、山車や附祭を伴って随行したものが現在の山車行事に発展しました。江戸時代初期から350年以上もの歴史を持つ「川越まつり」は、川越市最大の祭りです。見所は、華麗な山車が一箇所に集結する山車揃いに始まり、蔵造りの町並みを練り歩く山車行列、そして山車が互いに交差するときの挨拶、曳っかわせです。また、あたりが暗くなった頃、メインストリートに勢揃いした山車が飾り置きされる宵山の山車飾りも見逃せません。祭りの主役となる山車は、いずれも趣向を凝らした作りとなっています。山車の一番上には御神像としての人形が飾られます。神様、武将、物語の主人公が題材で、優れた人形師によって作られたものが多いです。山車の重量は約2~3トン。ハンドルもブレーキもない山車を人力で動かします。山車は宰領の指揮のもと、かわいい手古舞姿の女の子を先頭に、町内ごとのお揃いの衣装を身にまとった老若男女50人以上で曳かれます。山車の上にはお囃子や舞を踊るために5~7人の人が上がります。蔵造りの家々を両脇に、絢爛豪華な山車が人形をせり出したままゆったりと練り歩く様子は、まるで錦絵の様です。
現在、祭りの山車は29台あり、江戸末期~明治初期に作られた10台が埼玉県の有形民俗文化財に指定されています。川越まつりは山車や人形といった有形文化財だけでなく、神田囃子の正調を伝える囃子という無形文化財も含みます。そして、その囃子には必ず舞がつくことも特徴です。お囃子の曲目には「屋台」「鎌倉」「昇天」などがあります。屋台では「天狐」や「獅子」の舞が、鎌倉では「オカメ」や「モドキ」の舞が行われます。天孤の舞は五穀豊穣を、獅子の舞は悪魔退散、オカメの舞は家内安全や子孫繁栄を祈願します。なお使用楽器は大太鼓1、小太鼓2、鉦1、笛1の構成となっています。山車、人形、囃子、衣装など、すべてに正調の江戸流を伝える川越まつりは、平成17年2月に「川越氷川祭の山車行事」として国の重要無形民俗文化財に指定されました。
●大坂区の若者でつくる「若連会」は地元に新しい伝統文化をつくりあげようと、2004年に独自のアレンジを加えた天狐の舞の考案に乗り出した。当初は舞を継承する川越市の流派から禁じ手を指摘されたこともあったが、試行錯誤の末に同流派からも認められる「天狐の舞」が完成した。大坂区の天狐の舞は、馬鹿囃子の速いテンポに合わせて踊るのが特徴。秋祭りでは同神社の境内に入りきれないほどの住民が詰め掛けるなか、若連会の掛け声とともに勇壮な舞を披露した。同区中老会長の大石正和さん(39)は「地元の舞として定着しつつあり、うれしい。今後もさらに磨きを掛け、披露していきたい」と話しています。
■福島県東白川郡棚倉町大字八槻字大宮66・八槻都々古別神社「御田植祭」
■井口神楽は、広島市の太田川流域に広く見られる十二神祇神楽で、石見神楽の流れを受け継ぎ、芸州神楽(備後神楽)が加わった独特なものである。十二神祇神楽は、12種目から構成され、1種目に表裏の舞があり、全部で24の舞となるのが基本である。種目は、固定化されたものではなく、現存するものを集めて十二神祇神楽と呼称され、地域によってそれぞれ異なっている。十二という数の規則性は、古代中国の陰陽五行説によれば、木星、火星、金星、水星、土星の5惑星の中で、最も尊貴とされた「木星」の運行によるとされ、木星は、12年(厳密には11.86年)で天を一周する。つまり、木星は1年で12区画の中の1区画ずつを移動し、その所在は12次によって示されという。この木星の移動を基に作られた12支は、最も重要視される時間・空間を表現する数として、古来から日本で使用されてきたことによるものと思われる。井口神楽の種目は、宮司の修抜、神降ろし、祝詞奏上、巫女舞に続く煤掃き、幣舞、荒神、五刀、長刀、狐、八郎次、二刀、所望分け、合戦、弓舞、旗舞(幡舞)、鍾起、七刀、胡子、三宝荒神、関(荒平)、姫宮、劔神刀、大蛇、王子(神納め)で、王子舞、五行祭、四郎・五郎の旗分け、五龍王などと呼ばれ、5人の兄弟王子の財産相続の争いを題材とした舞である「所望分け」を構成の中心におき、その物語の各所に、狐、胡子、三宝荒神、姫宮などの種目を配置している。各種目の中でも、太夫が、外国からやって来て悪事を働く「荒平」という怪物を問答の末に説き伏せ、所持していた魔法の杖を取り上げるという「関」(荒平)の舞は、人間の智・仁・勇を表し、天下泰平、国家安穏、五穀豊穣の舞とされ、十二神祇神楽のハイライトである。
■若宮八幡宮十五夜祭・太々御神楽
江戸時代宝暦年間の頃より一村尾地区に伝わる御神楽。毎年9月中旬の十五夜祭に地元住民により26座の神楽舞が奉納されています。御神楽で使用される32面のうち27面は、日本初の人体解剖模型を制作した船ヶ沢出身の工匠・北川岸次(1836~1882)の手によるもので、その味わい深い表現も見どころの一つです。南魚沼市指定無形文化財。