萬国パクランカイ(6)
■つげ義春の代表作「ねじ式」に登場する「スパナ男」は、写真家・木村伊兵衛さんの「定本木村伊兵衛」の中に収録されているアイヌ人・知里高央さんの写真であると紹介したばかりなのですが・・・
■アイヌ民族の政治団体結成へ/参院選擁立目指す
アイヌ民族の権利を回復する施策を推進するため、アイヌ民族初の政治団体の結成を目指す準備会が29日に発足した。政治団体の結成は来年1月を目標にしており、2013年の参院選では、比例選などに候補者10人の擁立を目指すという。札幌市で29日に発足した準備会の会合では、アイヌ民族初の国会議員で2006年に亡くなった萱野茂・元参院議員の次男で、二風谷アイヌ資料館(北海道平取町)の萱野志朗館長が代表に就任した。萱野代表によると、政治団体メンバーや候補者はアイヌ民族に限定しない方針。萱野代表は「アイヌ民族の生活環境の向上が遅々として進んでいない。国会議員を送り出す必要がある」としている。
・・・このニュースに触発され、もう少し詳しく「知里高央」さんについて述べておきたいと思います。
■1903年6月8日---知里高吉、ナミの長女として幸恵が登別に生まれる。
1907年---高央が生まれる。
1909年---真志保が生まれる。
・・・この3姉兄弟で最も有名なのが、
■知里真志保(1909年2月24日~1961年6月9日)
アイヌの言語学者。文学博士。専攻はアイヌ語学。姉は、『アイヌ神謡集』の著者・知里幸恵。大学での指導教授は、金田一京助。北海道幌別町字登別町(現在の登別市)出身。アイヌ民族の視点からアイヌ語を理論的に研究し、『分類アイヌ語辞典』で朝日文化賞を受賞。その他にも、アイヌ語地名研究者の山田秀三とも共同しながら、アイヌ語学的に厳密な解釈を徹底させたアイヌ語地名の研究を進め、数々の論文や『地名アイヌ語小辞典』などを刊行し、北海道の地名研究を深化させた。また、言語学者・服部四郎との共同で北海道・樺太各地のアイヌ語諸方言の研究を行いアイヌ語の方言学の基礎を築いた。その業績はもはや「アイヌ学」という一つの学問を築き上げている。真志保は京助を敬愛していたが、アイヌとしての自意識もあり、感情的な部分も含めて、学問的な批判は京助に対しても容赦しなかった。また、先駆者であったジョン・バチェラーはもとより、研究仲間だった河野広道や更科源蔵、高倉新一郎らの著述における問題についても辛辣な批判を繰り広げた。
・・・そして兄の高央は、『アイヌ語イラスト辞典』『アイヌ語絵入り辞典』を横山孝雄さんと協力して著している。
この本が制作されたきっかけは、アイヌ語を知らないアイヌの児童たちが楽しくアイヌ語の単語を覚えられるように、というものでした。横山孝雄さんはアイヌではありませんが、奥様がアイヌの方で、お子さんはもちろんアイヌの血を受け継いでいるわけです。ある時、横山さん一家がアイヌの仲間の皆さんとバス旅行をされて、歌合戦の代わりにアイヌ語の尻取りをすることになり、皆さん興が乗って何時間も楽しむことができたそうです。その時の体験がきっかけとなって、この本が誕生しました。横山氏の奥様は知里むつみさんで、『アイヌ語イラスト辞典』の姉妹版にあたる『アイヌ語会話イラスト辞典』(絶版)をご夫妻で出されています。この知里むつみさんのお父様が『アイヌ語イラスト辞典』のもう一人の著者である知里高央(たかなか)さんなのです。知里高央さんは『アイヌ語イラスト辞典』が出版されるよりもはるか前の1965年になくなられており、高央さんの未完の遺稿集『アイヌ語彙記録』(1939年発行)という894貢もある大冊がこの本の下敷きになっています。横山さんは、漫画家・赤塚不二夫さんのブレーンとして25年間を共に行動したのち、フリーとなって漫画家・写真家として活躍されました。その才を活かして、知里高央さんが書きとめられたあまたのアイヌ語彙の中から、北海道全般に共通することば、道北、道南、道東と使い分けられていることばを拾捨しつつ、それらの単語にイラストを付けてこの本を出版されたというわけです。この本は、見ているだけでも本当に楽しくなる本です。本の中に登場するたくさんのイラストは著者の思惑どおり、単語を脳裏に焼きつけるのに大きな助けになっています。また、アイヌの伝統的な生活の様子もイラストがよく示しています。今でこそアイヌ語の入門書的なものも入手できるようになりましたが、当時のアイヌ語の書籍といえば、ほとんどが知里真志保さんや金田一京助さんの手による難度の高いものばかりで、『アイヌ語イラスト辞典』のようなやさしい良書といえる本は、なかなかありませんでした。
■横山孝雄
1937年(昭和12年)中国北京生まれ。父は日本領事館付の警官。戦後母の故郷福島・相馬に引き揚げる。高校時代「漫画少年」誌で「東日本漫画研究会」を知り、石ノ森章太郎と出会い、同会加盟。その後上京し、足立区の玩具会社に就職。その傍ら漫画を描き、赤塚不二夫のアシスタント一号となり、フジオプロ設立にも参加。82年独立後は、北海道に移住し、アイヌ民族や民話を題材にした漫画や絵本を発表する。
・・・おまけ、銀紙アートの新作です。