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大正ロマン(5)


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■大正ロマン(大正浪漫とも表記される)

大正時代の雰囲気を伝える思潮や文化事象を指して呼ぶ言葉である。なお「浪漫」という当て字は夏目漱石によって付けられたとされる。19世紀を中心にヨーロッパで展開した精神運動である「ロマン主義」の影響を受け、大正時代の個人の解放や新しい時代への理想に満ちた風潮にかぶせて、このように呼ばれるようになった。


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大正時代は、明治と昭和に挟まれ、15年と短いながらも、国内外が激動の時代であった。特に日本では明治維新を経て開国し、二度の戦勝(日清・日露)による好景気も得て国力も高まり、帝国主義の国として欧米列強と肩を並べ、勢いを得て第一次世界大戦にも参戦、勝利の側につき国中が国威の発揚に沸いた時代である。


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文明開化を経て封建主義や鎖国の影響も影を潜め、欧米から近代文化がどっと流入する。農村村落の風景は変わらないものの、明治の45年間をかけて、徐々に町や都市の基盤が形作られた時期である。録音や活動写真、そして印刷技術などの発達による新しいメディアの出現もあり、文化・情報の伝播がいっそう促進された時代でもある。


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士農工商と江戸時代には最下層とされた商人の立場が、明治時代の経済の自由化とともに逆転する。欧米から学んだ会社制度が発達し、制度上は個人商店であった私企業が発展、世界に向けて大規模化していく。また投機の成功で「成金」と呼ばれるような個人も現れ、庶民においても新時代への夢や野望が大いに掻き立てられた。「大正デモクラシー」つまり民本主義が台頭(民衆と女性の地位向上)し、西洋文化の影響を受けた新しい文芸・絵画・音楽・演劇などの芸術が流布して、思想的にも自由と開放・躍動の気分が横溢し、都市を中心とする大衆文化が花開いた。かつてはそれぞれ孤立していた地方農村にも、鉄道の発達や自動車の出現による人々の移動や物資の流通増加に伴い、このような都市の状況がいち早く伝わるようになった。


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しかし、時代の後半に入ると大戦後の恐慌や関東大震災もあり、経済の激しい浮き沈みや新時代への急激な変化に対応できないストレスも底辺に潜在化してくる。社会変革を求める政治運動に呼応して、大正末期頃に興った「プロレタリア文学」運動に見えるように、官憲の弾圧に抵抗しながらも身を隠し、あるいは処罰を覚悟しながらも自らを主張する、その自由獲得への情熱に対する憧れや賛美が、同時代の人々にドラマチックな感動を与えたのも事実であろう。また、未だ克服されなかった肺結核などの病による著名人の死や、自由恋愛の流行による事件も数少なくなかった。知識人においては個人主義・理想主義が強く意識され、新時代への飛躍に心躍らせながらも、同時に社会不安に通底するアンビバレントな葛藤や心理的摩擦もあった。昭和の時代にかけて、作家や芸術家の間に薬物や自傷による自殺が流行するのも、この頃からである。


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大衆紙の流布とともにそれらの情報が増幅して伝えられ、時代の不安の上にある種の退廃的かつ虚無的な気分も醸し出された。むしろこれらの事々のほうが「大正浪漫」に叙情性や負の彩りを添えて、人々をさらに蠱惑する側面もある。この背景には、19世紀後半にヨーロッパで興った文芸における耽美主義や同時代のダダイズム、あるいは政治思想であるアナキズムなどの影響もあろう。芸術作品にはアール・ヌーボーやアール・デコ、表現主義など世紀末芸術から影響を受けたものも多い。


・・・「みだれ髪」の表紙はもちろんのこと、中の挿絵のほとんどが、アールヌーボーからのパクリであることは明らかであり、藤島武ニさんはそういう才能も含めて?大画家なのである。