ちょこっと野田へ(3)
たっぷりじっくり町を散策して・・・
さらに周辺まで歩いていくと、近代化の波は着実に押し寄せており、この風景はいずれ消滅するのだろう。
■野田藤
大阪市福島区野田および玉川辺りはその昔は「吉野の桜、野田の藤、高雄の紅葉」と並び称された藤の名所だったといわれるが、現在のこの地のたたずまいからは往時の華やかな状況は想像も出来ない。大坂の名所を紹介する『摂津名所図会』や『浪華の賑ひ』など名所図会の類には多く登場するが、現在では当時を偲ばせるものは残っていない。1364年(貞治3年)2代将軍足利義詮が住吉詣での帰途に来遊し、「いにしへのゆかりを今も紫の ふじなみかかる野田の玉川」と詠み、1570年(文禄3年)豊臣秀吉も曽呂利新左衛門らを伴い訪れたと伝わる。江戸時代には野田村の「藤之宮」と呼ばれた現在の春日神社のある玉川2丁目周辺は、日本独自の藤の原種とされる「ノダフジ」の発祥の地とされ、その名の由来は、明治時代植物学者牧野富太郎博士により「ノダフジ」と命名されたことによる。一般のヤマフジは「つる」が左巻きなのに対し「ノダフジ」は右巻きなのが特徴である。戦国時代、1533年(天文2年)本願寺10世証如が野田で佐々木(六角)定頼の兵に襲われたとき、ノダフジは焼かれてしまったが、焼け跡からよみがえり、江戸時代は名所として大いに賑わった。明治以降は土地の開発の波にのまれて、かっての賑わいは昔語りとなり、わずかに残された藤棚も先の第2次世界大戦の空襲で殆んど焼失し、1950年(昭和25年)のジェーン台風が大阪を直撃した際に消滅したとされる。近年は藤家の当主や地域の人たちのノダフジ復活への努力が実を結び、福島区内各所でノダフジの藤棚が見られるようになってきた。
そろそろ目的地へ・・・
■油野美術館は、様々な用途にご利用いただけるパブリックスペースです。油野美術館は、20代のスタッフを中心に運営しております。油野美術館は、あらゆる方の表現、発見、交遊、実験、挑戦、挫折の場となります。油野美術館は、イイものはハッキリとイイ、ダメなものは遠まわしにダメ、You NO!と言える美術館です。
■渡辺文樹映画祭9月22日(木)~29日(木)
映画監督渡辺文樹氏自身による映写機を使っての作品上映会です。入場料:1000円(1作品)※毎日17:30より監督とのシンポジウム予定(ゲストあり)
■渡辺文樹(1953年1月10日~)
日本の映画監督。福島県いわき市出身。株式会社マルパソプロダクション所属。磐城高校、福島大学教育学部卒。学生時代から自主映画を製作、大学卒業後も家庭教師をしながら映画を製作する。1987年、『家庭教師』にて監督デビュー。
監督、脚本、主演、編集から、宣伝や上映までを自ら行う。天皇制や皇室を批判する作品が多い。出演者はポスター等で募集した一般人のみの起用で俳優を一切使わず、監督自らが映画に出演し一般人に扮する出演者に監督がインタビューを取る手法を用いている(『罵詈雑言』)。全国の公民館などを巡業し、大抵はその日1日のみの上映、という自主上映スタイルで上映されている。興行場所近くの電柱や壁に貼りまくる過激なポスターと、それに殴り書きされる「失神者続出!」「ハンカチ必ず持参」「ゲロ袋用意してます」などの扇情的なキャッチコピーなどの興行スタイルで知られる。(ポスターを見てホラー・猟奇映画と思い見に来たが実際は全く別な内容で憤慨した観客らと揉め事を起こす事もある。
世間を騒がせる?監督ではありますが、とても共感することが多いです。ただ、商業主義に乗っからないので、苦労が絶えないことは事実です。私なりに・・・応援したい監督です。がんばれ。