連載した「病室日記」の作者名が「カテーテル・マキ」になっていましたが、気付かれたでしょうか?
私の青春時代、三人のマキさんがおられました。まずは「カルーセル麻紀」さんです。
■カルーセル麻紀(Carrousel, Maki、1942年11月26日 - )
日本のニューハーフタレント。本名:平原麻紀、旧名および出生名:平原徹男。所属芸能事務所は、オフィスカルーゼル。元男性であることをネタにした痛快なトークが売りで、お笑い芸人の演芸と歌謡ショーを組み合わせたステージを繰り広げる。また、芸能界を始め、各界に友人、親友が数多く幅広い人脈を持つことでも知られる。
・・・やっぱりタバコは手放せない小道具のようです。
■カルメン・マキ(1951年5月18日 - )
神奈川県鎌倉市出身の歌手、ロックミュージシャンである。アイルランド人とユダヤ人の血を引くアメリカ人の父と日本人の母との間に生まれる。1968年、私立香蘭女学校高等学校を2年次で中退。イラストレーターか役者になろうかと考えていた時期に、詩人の寺山修司が主宰していた劇団「天井桟敷」の舞台『青ひげ』にたまたま友人に連れられていった。その舞台に感銘を受けた彼女は即入団を決意。同じ年の8月に新宿厚生年金会館での「書を捨てよ町へ出よう」が初舞台(まだこの時は通称名の「伊藤牧」名義)。この時、CBSソニーの関係者の目に止まり、歌手として契約。芸名の「カルメン・マキ」はこの時期に舞台の練習中にたまたま思いついたものだという。翌1969年に「時には母のない子のように」(作詞:寺山修司、作曲:田中未知)でデビュー。17歳とは思えないその妖艶な雰囲気と歌唱力、そして投げやりな歌いっぷりが話題を呼んだ。「本当に親のいない子供にとっては残酷な歌」と言う批判の声があったものの、大ヒット。この曲で第20回NHK紅白歌合戦への出場も果たす。ちなみに、彼女の曲には武満徹やクニ河内が作曲を、作詞に前述の寺山修司の他に谷川俊太郎が歌詞を寄せている。これ以降も個性派歌手として活動し、6枚のシングルと3枚のアルバムをリリースする。前述の「時には母のない子のように」の他にも「山羊にひかれて」や「私が死んでも」「戦争は知らない」と言ったヒット曲が出た。1970年、写真集『篠山紀信集 NUDE』(篠山紀信)でヌードを披露。
・・・寺山修司さんの「天井桟敷」は憧れでもありました。そして、
■浅川マキ(1942年1月27日~2010年1月17日)
1967年にビクターからEP「東京挽歌/アーメン・ジロー」を発表するも本人と事務所の音楽的指針に大きな乖離があり、当時の出来事がその後の活動に影響を与えた。1968年、寺山修司に見出され新宿のアンダー・グラウンド・シアター「蠍座」で初のワンマン公演を三日間に渡り催行、口コミで徐々に知名度が上がる。やがて東芝音楽工業株式会社(現:EMIミュージック・ジャパン)に移籍、1969年7月1日、EXPRESS-レーベルより「夜が明けたら/かもめ」で正式にレコード・デビュー。以後移籍することなく1998年まで作品を発表しつつステージを主体に音楽活動を行う。特に池袋「文芸坐ル・ピリエ」で1997年まで催行した大晦日連続定期公演は有名である。2010年1月17日、ライブ公演で愛知県名古屋市に滞在中、宿泊先ホテルで倒れていたところを発見され、搬送された病院で死亡が確認された。67歳没。愛知県警中警察署によると、死因は急性心不全とみられる。2010年3月4日、「新宿PIT INN」にてお別れの会『浅川マキ「こんな風に過ぎて行くのなら・浅川マキがサヨナラを云う日」』催行。真赤なバラの花の献花台とメッセージ・ボックスが用意され、彼女の生前の作品が流された。
浅川マキが亡くなったあと、「最初にして最後の浅川マキ・オフィシャル本」という触れ込みで、『ロング・グッドバイ 浅川マキの世界』(白夜書房、2011年)が出た。田村仁の写真、『筒井康隆の世界』に収録されていたエッセイ、奥成達や柄谷行人との対談、渋谷毅へのインタビュー、ディスコグラフィー、コンサート・リストなど充実している。
・・・まあ、しかし、この人ほどタバコを手にしている写真の多い人はいないでしょう。
浅川マキは音楽そのものに限らず音質、ジャケットデザイン、ライナーノート、ポスターの配置などにも一貫した美意識を持ち、終生その姿勢を崩すことはなかった。日本国内に於けるアンダーグラウンドを主体とした音楽活動の第一人者であるが、“アンダーグラウンド”と“(いわゆる)アングラ”を混同してはならないと主張。独自の美意識を貫く姿勢を「時代に合わせて呼吸をする積りはない」と自ら表現している。
「夜が明けたら」詩・曲/浅川マキ
夜が明けたら 一番早い汽車に乗るから
切符を用意いてちょうだい
私のために一枚でいいからさ
今夜でこの街とはさよならね
わりといい街だったけどね
夜が明けたら 一番早い汽車に乗って
いつかうわさに聞いたあの街へ
あの街へ行くのよ
いい人が出来るかもしれないし
ン~あの街に行くのよ
夜が明けたら 一番早い汽車に乗るわ
みんなが私に云うの
そろそろ落着きなってね
だけどだけども人生は長いじゃない
そう あの街はきっといいよ
夜が明けたら 一番早い汽車に乗るから
切符を用意いてちょうだい
本当本当よお 一枚でいいのよ
いつだって身軽なあたしじゃない
そう乗るのよ