「ぷかっ」そして「いてっ」に
「より道」「道草」してしまったように見える
・・・けど実は「一本道」なんだ。
●「神の子どもたちはみな踊る」より
もっとも奇妙な構造である。というか1Q84の原型の一つなのだろうか。耳の一部が欠けた男(医師)とまぐわったため妊娠したという母親からの記憶に基づき、千代田線の中で耳の一部が欠けた男を発見した善也は、男の追跡を始める。そして辿りついた深夜の公園で見たものは?
下部分が腰巻だと思っていたのに・・・悔しいので
下半身をオリジナルしてみました。
さて、「神の子どもたちは・・・」で、まさしくタイトルとなっている主人公が踊るシーンはとても印象的なのですが、どんなダンスをイメージするかは読者それぞれで、かなりの差異があるに違いありません。
映画では、このポスターにある様なダンス・・・
なのですが、私が最初に描いたイメージは・・・
ピカソ《玉乗りの曲芸師(少女?)》1905年
男の体がデフォルメによって大きく描かれているので(頭部を小さく前方に描いているので体がより大きく見える)、少女?の身体の細さが強調されています。球体と立方体の対比がピカソの造形性への関心を示しています。背景に小さく描かれた人物や動物が作品に奥行き感を与え、牧歌的ではありますが、作品からはどこか厳しさが感じられます。赤味のある色が加えられようになりました。
1904年、ピカソはパリのバトー・ラヴォワール(洗濯船)と呼ばれる建物にアトリエを構え、フェルナンド・オリヴィエという名前の女性と同棲を始めました。少し教養のある女性で、ピカソにフランス語を教えたり、精神的な安定を与えてひたすら絵を描くようにピカソを仕向けました。彼女と暮らすようになってから「青の時代」の表現は影を潜め、ピカソは彼女の美しい裸像や身近な人々の肖像画、彼女の仲間たち、俳優、サーカスの芸人たちを、バラ色を基調とした暖かい色で描くようになりました。「バラ色の時代」の始まりです。1906年、画商ヴォラールが大量に作品を購入してくれたおかげで、作風の転機となったスペインのゴソルへの旅行が可能になりました。オリヴィエは、次の新しい恋人エヴァが現れるまでの7年間をピカソの伴侶として過ごしました。
・・・「青の時代」から「バラ色の時代」へ、その隙間にあるちょっとアンニュイなイメージ。
さて、話は変わって・・・気になる本がある。