入院前のヒトトキ・・・
今朝、「暑中見舞い」ではなく「病気見舞い」が届いた。長い人生で初めて、ありがたいことである。
さて、その葉書は、ムンクの作品で「スタニスラフ・プシビシュフスキ」というポーランド詩人の肖像で、くわえ煙草である。送り主は、私より一足早く禁煙に取り組まれているとのこと。
さて・・・この長くてややこしい名前のポーランド詩人は?
■Edvard Munchエドヴァルド・ムンク(1863年12月12日 - 1944年1月23日)
ノルウェー出身の画家。『叫び』の作者として有名。「ヴァンパイア(吸血鬼)」は、1893年以来ムンクが手がけ続けたモチーフで、パステル、素描、油彩、版画など多数の作例がある。その版画化はまず、1895年に単色リトグラフで試みられ、手彩色版を経て、リト石2枚と鋸で三分割された木版の組刷として完成された。(吸血鬼)というタイトルは後年、ポーランドの詩人・スタニスラフ・プシビシュフスキが付けたと言われている。1893年に開催されたムンクの展覧会について書いた彼の論文には以下のような説明が記されている。
●くずおれた男とその首筋にかみつく吸血鬼(ヴァンパイア)の顔/男は弱々しく、無力にも底無しの深みへと落ちていこうとしている。それは、小石がなすすべもなく落ちていくように/そして、それを喜んでいるがごとく/男は自らを吸血鬼から引き離すことができない。また、その痛みから自らを解き放つこともできない/そして、女はいつもそこにたたずんでいる/永遠にかみつきながら/千の毒蛇の舌で/千の毒牙で
・・・赤気味の金髪女性を吸血鬼とみなすのは、当時の風潮であったそうですが、当のムンクは、「題が絵を文学的にしすぎているひとりの女がひとりの男のうなじに接吻しているのにすぎない」と発言しています。
「病気見舞い」と同時に届いたのが、注文していた「ポートレイト・イン・ジャズ」である。
本だけでなく、実際にJAZZが収録されたCDと両方である。
■村上春樹(1949年1月12日 - )
日本の小説家、米文学翻訳家、エッセイスト、ノンフィクション作家。京都府京都市伏見区に生まれ、兵庫県西宮市・芦屋市に育つ。早稲田大学第一文学部映画演劇科卒業、ジャズ喫茶の経営を経て、1979年『風の歌を聴け』で群像新人文学賞を受賞しデビュー。当時のアメリカ文学から影響を受けた文体で都会生活を描いて注目を浴び、村上龍とともに時代を代表する作家と目される。
・・・彼の小説にJAZZが良く登場するのは当然のことである。
早稲田在学中にクラスメートの女子学生と結婚し、最後の一年間は単位が一科目しか残っておらず、あまり学校へ行く必要がなかったから、東京・国分寺で小さなジャズ喫茶「ピーター・キャット」を開いた。武蔵野美大の学生だった村上龍氏が、よく顔を見せていた。その店がビルの建て替えのため一年半で閉店することになり、三年半前に千駄ケ谷の店をつくった。
「これだけの店を開くには、大変な借金ですよ。銀行を回って、どうにかやりくりしたのですが、まだ大分残っています」
ジャズのLPが三千枚。夜はピアノの生演奏。朝十一時から夜の零時までの十三時間営業である。「近くのマンションに住んでいるので、息抜きに一、二時間、自分の部屋に帰りますが、毎日十時間以上は音楽を聴いていることになりますねえ」
だから、ジャズの曲名がふんだんに出てくる。
ブルック・ベジトンの「レイニー・ナイト・イン・ジョージァ」、ビーチ・ボーイズの「カリフォルニア・ガール」、マイルス・デイビスの「ギャル・イン・キャリコ」、「エブリデイ・ピーブル」、「ウツドストツク」、「スピリツト・イン・ザ・スカイ」、「ヘイ・ゼア・ロンリー・ガール」・・・
・・・お店の名前は、当時飼っていた猫の名前だそうです。猫好きの村上春樹さんですから、JAZZそして猫が小説に良く登場するわけです。
「私の店には、若い編集者のかたが見えますよ。中上健次さんも編集者に連れて来られた一人で、ちょっと話したことありますけど。新聞に出たので、私が小説を書いたことはお客さんにも分かりましたが、店の名前は伏せてくれませんでしょうか。やはり店を大切にしないとねえ。私に特別の興味を持って来られても困るんですよ」
文名をあげるまでの仮の姿などではなく、レッキとしたジャズ喫茶のマスターである村上春樹さんは、突如、自分が「作家」と呼ばれる存在にされたことに、戸惑っているらしい。
「この仕事をしていると、小説を書く時間は、一日に一、二時間しか割けませんでねえ」
・・・小説「風の歌を聴け」二百枚が、第二十二回「群像新人文学賞」に入選した。選考委員五氏が全員一致、文句なしの決定だった。変わり種作家が続出する現代文学風景の中に、またひとり異色新人の登場であった。その時のインタヴューである。
・・・病気(やまい)という響きには「猫」がふさわしい?かも。