いてっ(2) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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絶好の読書チャンス。

コツコツ読み続けている「街道をゆく」と

まだ一度も読んでいない村上春樹さん。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-かみの1


このカエルの装丁になっていなかったら、一生読まなかったかもしれない。下の赤い部分は腰巻かと思っていたら、印刷だったのでガッカリ。でも・・・


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-かみの2


■村上春樹「神の子どもたちはみな踊る」単行本

しんと静まりかえった心の中のいちばん深い場所で、たしかに、それは起こった。小さな焚き火の炎のように、深い闇の中に光を放つ。生きること、死ぬこと、そして眠ること―1995年2月、あの地震のあとで、まったく関係のない6人の身の上にどんなことが起こったか?連載『地震のあとで』五篇に書下ろし一篇を加えた著者初の連作小説。


■村上春樹「神の子どもたちはみな踊る」文庫本

1995年1月、地震はすべてを一瞬のうちに壊滅させた。そして2月、流木が燃える冬の海岸で、あるいは、小箱を携えた男が向かった釧路で、かえるくんが地底でみみずくんと闘う東京で、世界はしずかに共振をはじめる…。大地は裂けた。神は、いないのかもしれない。でも、おそらく、あの震災のずっと前から、ぼくたちは内なる廃墟を抱えていた―。深い闇の中に光を放つ6つの黙示録。


・・・阪神淡路大震災のあとで書かれた作品群だとは、まったく知らず。さらに、本当にカエルが登場する話があるとも知らずに。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-かみの3


装丁のカエルくんは「新潮社装丁室」のデザインらしいが、中の挿絵・挿画は・・・なんと「北脇昇」さんであった。


「クォ・ヴァディス(Domine,)quo vadis?」という作品がある。ラテン語で「(主よ)いずこへ行き給うぞ」の意味。死に赴くキリストに対する聖ペテロの質問なのだそうだ。敗戦によって、現実として全ての「意味」が崩壊してしまった空白。その遠景、右手には嵐が、左手には労働運動のデモ隊が、現実感の無い風景として描かれている。そのどちらかに歩を踏み出そうとしている男の傍らにはカタツムリの殻が現実感を持って存在する。この置き去りにされる殻は、敗戦という「超現実」を突きつけられて、その存在価値を失ってしまったシュルレアリスムとの決別を意味しているのかもしれない。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-かみの4


北脇昇(1901年6月4日 - 1951年12月18日)

日本のシュルレアリスムの画家。主として京都で活躍。愛知県名古屋市出身。津田正楓画塾にて絵画を学ぶ。独立美術協会に参加、新日本洋画会や創紀美術協会等の結成に参加。1939年には福沢一郎ら40名の前衛活動家と共にシュルレアリスム運動で知られる美術文化協会の創立同人となる。シュルレアリスムと日本(東洋)文化(仏教、禅、易、曼荼羅等)、さらには、数学等の自然科学との融合の方向性を探り、その作品は、ヨーロッパのシュルレアリスムの真似にとどまらない、日本的な独自の境地に至っている。北脇の作品としては、カラフルで幻想性の強い写実的な作品がほとんどであるが、ほぼ完全な抽象絵画も制作している。デカルコマニーやコラージュも制作した。同時期の画家としては、小牧源太郎や今井憲一と交流した。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-かみの5


北脇昇さんは、藁半紙にこの自画像を残して旅立った。享年50歳


・・・あまり一般には知られていない作家ではあるが、なかなか興味深い。村上春樹さんの本になぜ挿絵として採用されたのか、これまた興味深い。


●「かえるくん、東京を救う」より


真の恐怖とは人間が自らの想像力に対して抱く恐怖のことです、とかえるくんは言った。片桐は迷うことなく想像力のスイッチを切り、重みのない静けさの中に沈み込んでいった。