写真の力(2)
止まった時計・・・もとより、その瞬間を切り取った静止したスチール。
やはり、ロバート・キャパから振り返ろう。
Robert Capa「崩れ落ちる兵士Falling Soldier」1936年
1936年スペイン内戦時に撮影した有名な写真「崩れ落ちる兵士」。戦争写真家は、命がけだからこそ迫力がある。正式なタイトルは「人民戦線兵士の死」。「キャパ/その戦い」リチャード・ウィラン著に、彼の逆説的なモットーが載っています。"戦争写真家の最大の願望は失業することだ"と。現実には、まだまだ戦争写真家は失業しそうにありません。日本では戦場カメラマンが有名になっていますが・・・
この写真も力があるからこそ「やらせ」ではないかと物議をかもしている。たしかに、同時に撮られた数枚の写真を見ると疑いたくなる。しかし、その事実はキャパ自身にしかわからない。ただ、彼が伝えたかった真実がある。それが・・・本当の力ではないかと思う。
『LIFE1937年10月4日号』に掲載されたH.S.Wong(中国系アメリカ人)の写真。日本軍機の爆撃で破壊された上海南駅で泣き叫ぶ赤ん坊である。この写真もまた、「やらせ」ではないかとの疑惑がもたれている。だとしても、日本軍がしでかした様々な蛮行は隠しようも無い事実であり、その真実を伝える力ある一枚の写真なのだ。
ケビン・カーターは元々アパルトヘイトの残虐行為を撮影するために南アフリカを旅していた。1983年から続く内戦と干ばつのためにスーダンでは子供たちを中心に深刻な飢餓が起こっていた。しかし、スーダン政府は取材を締め出し国外に伝わらないようにしていた。そんな中カーターは、内戦の状況を伝えようとスーダンに潜入した。カーターが訪れた国連などの食料配給センタ-があるアヨドという村では、飢えや伝染病で1日に10人から15人の子供たちが死んでゆく有様だった。
やりきれなさから、その村から離れようとして村を出たところで、ハゲワシがうずくまった少女を狙うという場面に遭遇したのである。現場にいたカーターの友人でありフォトジャーナリストのジョアォン・シルバの証言などによると、写真の構図は母親が食糧を手に入れようと子どもを地面に置いた短い時間にできたものであったという。カーターは写真を撮った後、ハゲワシを追い払い、少女は立ち上がり、国連の食糧配給センタ-の方へよろよろと歩きだした。それを見た後は、すさんだ気持ちになり、木陰まで行って泣き始め、タバコをふかし、しばらく泣き続けたと手記に記している。この写真が、ニューヨーク・タイムズ紙に1993年3月26日付けで掲載されると強い批判がニューヨーク・タイムズ紙に寄せられた。大部分が写真を撮る以前に少女を助けるべきではないかという人道上からのものであった。この写真は「報道か人命か」という問題として、その後何度かメディアで取り上げられ、論争に発展した。毎日のように目にした脳裏に焼きつくひどい惨状に苛まれ、1994年に写真がピューリッツァー賞を取ったすぐ後、彼は自殺した。なお、日本では中学校の英語教科書『NEW CROWN』(2006、2008年度版)がこの写真を取り上げている。
・・・あまりにも力ある写真は、プラスにもマイナスにも大きな衝撃を与える。写真が切り取った事実から目をそむけずに、伝えようとした真実をしっかりと見極めて心に刻むところから、私たちは新たな一歩を踏み出すことである。