■高台の仮設住宅/お年寄り「坂きつい」
津波で大きな被害を受けた被災地では、仮設住宅が高台に建ち、車を運転できない1人暮らしの高齢者らが困惑している。市内最多の150戸が建設された岩手県陸前高田市立第一中学校のグラウンドもその一つ。坂道の途中で何度も休憩を取りながら、街へ行き来するお年寄りの姿が目立つ。「坂がきつくてねえ。こうして家の中にばかりいるから、みんな変に思うでしょうね」。一中の仮設住宅で、千葉照子さん(75)が肩を落とした。肺がん治療を受けている千葉さんは、重い荷物を持って歩くと息切れし、何歩も進めない。震災前は、高田の街を自転車で走り回ったが、仮設住宅に入居し、途端に不便を感じるようになった。一中の前には、急勾配の一本道が立ちはだかる。自転車の上り下りにも苦労し、結局、タクシーに頼ることになる。隣町でタクシーを待たせながら何件か用を済ませて戻ってくると、料金は1万円を超える。「このままでは、タクシー代だけで年金を使い果たしてしまう」自然と外出を避け、自室にこもりがちになった。いつも世話を焼いてくれた友人は、津波で亡くなった。残る友人も高齢で、何度か仮設住宅を訪れてくれはしたものの、時折、「あの坂道はきつい」と漏らす。そのうち誰も来なくなってしまうのではと不安になる。急な坂の上にしか安全な場所を確保できない三陸沿岸ならではの悩み。「怖いのは冬」というのは、同じ一中の仮設住宅に住む鈴木八代子さん(72)だ。ひざを悪くし、つえが手放せない。いまは健康のため、なるべく一日に一度は坂を下りるが、「道が凍ったら、あちこちの坂道で転んでしまう」と今から心配する。
■仮設住宅、入居したものの/我慢の住環境
仮設住宅への入居が進むにつれ、各地で住環境や構造への不満を耳にすることが多くなった。「でも、ここ以外に行く所はないからね」と被災者たち。震災発生から4カ月が過ぎても、我慢を続けるしかないのだろうか。
◇アリ
野球場だった場所に作られた岩手県釜石市中妻町の仮設住宅。アリの侵入が深刻で、周囲には白い駆除剤がまかれている。家族4人で住む岩崎美加子さん(28)宅は、トイレの壁と床の継ぎ目に約1センチの隙間(すきま)があり、スポンジでふさいだ。市から駆除剤を配布されたが「長男が生後2カ月なので使用したくない。周りが使っているので影響が心配」と表情を曇らせた。「ほら見てよ」。同じ仮設住宅で1人暮らしをする菊地俊郎さん(76)が布団をめくると、10匹ほどのアリの死骸があった。粘着クリーナーで掃除するのが日課という。6月に入居した奥村忠雄さん(68)も壁と床の継ぎ目すべてにビニールテープを張っている。
◇古い資材
宮城県東松島市の端野敬章さん(68)は5月に入居した直後、窓が完全に閉まりきらず隙間風が入ることに気づいた。市に連絡すると業者が直してくれたが「2年間も暮らすと思うと不安だ」と話す。業者によると、プレハブはリースで使い回すのが一般的で、端野さん宅は相当使用したものだという。端野さんは「屋根が小さいので、窓を開けておくと雨が室内に入ってくる。ぜいたくは言えないが、新しい仮設住宅に入りたかった」と本音を漏らす。
◇砂利道
仮設住宅の周囲はぬかるみ防止などから、通常は砂利が敷かれている。しかし長男の家族と宮城県亘理町の仮設住宅で暮らす女性(80)は砂利を踏むたびに腰にひびき、歩くのが困難になった。7年ほど前に座骨神経痛を発症。しばらく治まったが、仮設住宅に入居後に痛みが激しくなり、外出がおっくうになった。手押し車を買ってみたものの、砂利道では動かしづらく、一度しか使っていない。暑さが本格化し、エアコンは神経痛にひびくだろう。「このまま体が弱ってしまうのではと心配です」
◇孤独
「また来たよ」。岩手県陸前高田市立第一中学校校庭に建つ仮設住宅で1人暮らしをする伊藤良(よし)さん(75)は、しょっちゅう同校体育館の避難所に顔を出す。被災後の約3カ月間、ここの避難所で集団生活していた。現在も顔見知りの人がおり、お茶を飲んだり、掲示板で催し物をチェックしたりしている。仮設住宅での食事は支援物資でもらった缶詰を野菜とあえて済ませるので、買い物にも出なくなったという。伊藤さんのように避難所を懐かしみ集まってくる人は少なくないが、市は仮設住宅への入居を7月末までに完了させる方針で、閉鎖は時間の問題だ。伊藤さんはため息をつく。「そしたら寂しくなるだろうねえ。どうやって過ごそうか」
■「別の仮設に」大槌町民/要望50件以上
政府が目標に掲げた「お盆まで」には間に合わない、と菅直人首相が22日陳謝した東日本大震災の仮設住宅。今月に入って入居が本格化した岩手県大槌町では、早くも町に対し「別の仮設住宅に移りたい」という要望が50件以上寄せられている。部屋の位置や建設地などを巡って、被災者の求めに応じ切れていない。「せめて部屋が道路側の端っこだったら」。同町小鎚(こづち)地区の仮設住宅に住む熊谷ヒロ子さん(61)がため息をつく。夫(64)と足の不自由な母親(88)との3人暮らし。部屋は道路側から一番奥にあり、母親は車に乗るために約30メートルを移動しなければならない。砂利が敷かれ、歩くことはもちろん、車いすの使用も難しい。4畳半2部屋と台所の間取りは、1部屋に母親の介護ベッドを置けばいっぱいだ。町や県に何度も、別の仮設住宅に移れるよう要望を出したが、反応は鈍い。「今からでも替えてほしいけど、やっぱりかなわないもんね」同町の仮設住宅の多くは浸水区域から数キロ離れた内陸部の民有地に建設された。そのため仮設住宅に入居した住民には「町中に近い方が良い」「車がないのでどこにも行けない」など不満も少なくない。町は住民同士が同意すれば、仮設住宅の交換を認めており、これまで約10組が成立したが、個人的なつてに限られている。住民団体「大槌復興まちづくり住民会議」は、住民同士が移転希望者の情報を共有したり、町が間に立って移転希望者同士を結びつけるなど、何らかの仕組みを求める意見が出ている。町地域整備課は、直接仲介することには消極的だが「できるだけ要望には応えたい」と対応策を検討している。
■新型仮設住宅「絆」誕生/安らぎと交流を
岩手県遠野市が東京大学高齢社会総合研究機構などの提言を基に建設を進めていた、コミュニティーケア型仮設住宅「希望の郷『絆』」(40戸)が誕生した。高齢者や身体障害者が快適に生活できるように、バリアフリーの屋根付きデッキを設置。入居者同士の交流が生まれるように、玄関を向かい合わせにして配置するなどの工夫を凝らしている。大槌町の自宅を失い入居した芳賀礼子さん(50)は「孫を安心して遊ばせることができる。今度、玄関前のデッキで水遊びをさせたい」と話した。
・・・これまで我慢してきたことが、そろそろ限界に達してきている。作ればいい、住めればいい・・・ということではない。常に弱者の声に耳を傾けながら、復興への道はまだまだ険しい。さらに、地域格差もかなり大きい。考えなければならないことは山積みだ。