KIZUNA63 | すくらんぶるアートヴィレッジ

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東日本大震災とカエル(1)


●陸前高田市では、地元の人から、今時分うるさいぐらいに鳴いているはずのカエルの声が全く聞こえないという話だった。回りは田んぼだらけ、津波被害は免れたのに確かにカエルの声は聞こえず、鳥などの姿も見えない。動物たちは震災後どこへ消えてしまったのだろうか・・・それが、4月25日の晩にはカエルが鳴き、26日の朝にはウグイスも鳴いた。まだ余震も続いていて楽観はできないが、異変に敏感な生き物たちが戻ってきたことは震災収束への吉兆か。カエルの鳴き声は、被災地再生への力強い産声のようにも聞こえた。

●街灯もほとんどない。一面に広がる暗闇に、蛙の声が響く。この沈黙を破る、あるいは破ってくれるためには、蛙の鳴き声は必要なのかもしれない。


●東日本大震災で壊滅した大島浦の浜。田んぼには瓦礫とヘドロが残っているのだが、それでもかすかにカエルの声が聞こえる。


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■「古里にカエル」夢見て/海産物店経営・三浦慶市さん=石巻市雄勝町

◎守り神に願掛け店再開

店の前に鎮座するのは巨大なカエルの石像。背中にかわいらしい5匹の子ガエルが乗っている。「全部で6匹いるから『ムカエル』。お客さんをムカエル、幸せをムカエル…。開業の時に縁起担ぎで造園業者から買った、店の守り神なんだ」石巻市広渕に開いている海産物店で、経営者の三浦慶市さん(59)が表情を緩めた。このカエルが、3月11日の東日本大震災で折れそうになった心を励ましてくれたのだという。広渕は仮設店舗。三浦さんは旧宮城県雄勝町の石巻市雄勝町船越で生まれ、地元の浜で25年前から「みうら海産物店」を妻寿美子さん(56)と2人で営んできた。三陸の海で採れたウニやホタテ、アワビを水槽に入れて販売し、自宅に併設した工場では昆布やワカメなどを加工、パック詰めにして、各地に配送してきた。豊富な種類と新鮮さに、北海道や関東からも注文が来た。地震に襲われたのは、三浦さんが旧雄勝町の外へ出て配達をしている時だった。約130世帯の船越地区は、高台を残して全域が津波にのまれた。三浦さんの店や工場、家もすべて流され、従業員6人のうち1人が犠牲になった。生活の場を失い、住民は次々と旧雄勝町から移っていった。高齢者が多く、再起する気力さえ失う人もいた。地道に積み重ねた財産をすべて奪われた三浦さんも一時廃業を考えた。その時、「商売を続けるなら、空いている土地を貸そう」と古い友人が声を掛けてくれた。船越から30キロほど離れた広渕地区の山あいだった。「裸一貫で出直すことに不安もあった。ただ、妻も従業員も『やるならついていく』と言ってくれた。一人でも力になってくれる人がいる限り、頑張ろうと思った」再出発の場所にプレハブ小屋やコンテナなどを運び入れ、仮設店舗と商品の保管倉庫にした。被災を免れた海産物加工品のほか、他地域からも商品を取り寄せ、5月初めに何とか店開きした。船越の住民としては第1号の営業再開だった。創業以来、店の前で商売を見守ってきたカエルの石像は、トラックで仮設店舗の前へ運ばれた。津波で10メートルほど流されたが、ほぼ無傷だった。初心にカエル。「商売を始めたころの熱い気持ちを思い起こさせてくれた」と三浦さんは言う。「海のものは、海の近くで売ってこそ価値がある」が信念。旧雄勝町から避難し散り散りになった住民と、一日も早く古里に戻れる日を夢見る。そのため「漁業者の仮設番屋や、雄勝硯(すずり)など特産品を売る商工業施設を旧町内の港に建てたい」。公的制度を活用し、復興のシンボルにもなる事業の要望書をまとめ、三浦さんは先日、地元商工会に出した。「船越は、磯の資源が豊富で本当にいい所なんだ。いつも願を掛けている。必ず『古里にカエル』って」。震災前と少しも変わらない「守り神」に目を細め、慣れ親しんだ海を心に描いた。


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■埔里/家にカエル祈り込め

台湾中部の南投県埔里(ほり)の桃米生態村に「紙の教会」がある。阪神大震災で燃えた神戸の鷹取教会の聖堂跡に日本の建築家、坂茂さんが集会所として建てた「ペーパードーム」で、ドームの解体を聞いて桃米が譲り受けた。埔里は阪神の四年後に起きた台湾中部大地震の震源に近く大被害を受けた。地震が取り持つ縁で二〇〇八年に移築され、観光施設として開放されている。その紙の教会の中央に東日本大震災後の三月下旬、人間の子どもほどの大きさのカエルの彫像が設置された。日本留学経験もある地元の彫刻家、張家銘さんの制作で、両手を胸の前で合わせて、薄く目をつむって祈るように直立している。桃米はカエルの繁殖地として知られ、紙の教会の池でもイヌの声に似た鳴き声のカエルがいる。カエルの里にふさわしい彫像だが、実はもう一つ大きな意味があるという。日本語の「カエル」は「帰る」と同じ発音で、中国語の「回家」(家に帰る)の意味。東日本大震災で多くの人が家を失った。カエルの彫像には、その人たちが少しでも早く家に帰れるように、という願いが込められている-と施設のガイドが教会に集まった数十人の台湾人観光客を前に説明していた。紙の教会は台湾と神戸だけでなく、東北ともつながった。


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■東日本大震災からの日本復興を願い制作したペーパークラフトキットです。 皆様からのニホンヨミガエルご購入代金は全額日本赤十字社の東日本大震災義援金となります。・・・終了しました。ご協力ありがとうございました。

Nihon yomigaeru means Japanese restoration frog. It is a paper model kit by Kamimodel.All the proceeds from the paper model kit will be donated to Japan earthwuake and tsunami relief efforts.・・・ This project was finished. Thank you for yor cooperation.


■被災の子どもに折り紙カエル/笑顔が〝カエル〟ように―。

東日本大震災で被災した子どもたちに贈るため、日本折紙協会高知支部「おりづる高知」(森洋芬代表)は12日、高知市高須の書店で、会員が作った折り紙のカエル千匹の発送準備を行った。


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■かわいキャンプ(盛岡市災害ボランティアセンター)

http://www.morioka-shakyo.or.jp/kawaicanp.html

盛岡市が準備を進めていました「かわいキャンプ」が7月6日オープンします。場所は宮古市旧川井村で、国道106号からすぐのところにあります。盛岡から行くと、106号から遠野へ向かう340号との交差点の少し手前の左側です。上川井というバス停から少し登り坂になっている道路を入ると旧宮古高校川井校があります。利用対象者は、 沿岸被災地で活動を希望する個人、または団体のボランティアで高校生以上の方です。かわいキャンプのマークは、以前に被災地の応援にこられた漫画家のみなさんの御厚意でデザインされました。吉田戦車さんが案を作成、デザイナーの関根信一さんが仕上げをされました。三陸の復興を願ってヨミガエルくんと呼ばれています。