友人から最近ブログの更新がないので、忙しいの?と心配してメールをもらった。もちろん忙しい日々ですが、それは以前からのことで、今更ということではない。
3月11日以降、どうも調子がおかしくって・・・以来、毎日のように東日本大震災のニュースや情報とにらめっこしている。何ができるのか、何をしなければならないのかと・・・
そして、ひとつの結論というか、私のコダワリというか、ひきずっているものが見え始めてたので、そのことを綴っていくことにする。それは・・・
平成7年(1995年)1月17日午前5時46分52秒、淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡を震源として、M7.3の大地震、兵庫県南部地震が発生した。
近畿圏の広域に渡り、死者:6,434名 行方不明者けー:3名 負傷者:43,792名の大きな被害を受けた。特に、震源に近い神戸市市街地、東灘区・灘区・中央区・兵庫区・長田区・須磨区の被害の様子は甚大で、日本国内のみならず世界中に衝撃を与えた。
ぐっすりと寝ていた私は、驚いて飛び起き、無意識に子どもの寝ている部屋に走り、ベッドと子どもを手でおさえていた。それまでの私は、何か大きな事故や災害があったら、子どもや家族をほって自分だけ逃げてしまうのではないか・・・と、自分に自信を持てなかったのである。
そして、何事もなかったように学校へ・・・
やがて、その地震がとんでもない大災害であるという情報が・・・
無力感に襲われながら、ただ学校で授業をすすめている自分がいた。
その時の「教え子」たちと共にオープンしたのが、この「すくらんぶるアートヴィレッジ(SAV)」である。
阪神淡路大震災の後、数年は神戸方面に行くことがためらわれた。
青春の思い出のつまった三宮・元町の変わり果てた姿を見ることがつらくもあり、何もできなかった自分が情けなくもあり・・・