いひっ(69) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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■週刊ポスト2011年4月15日号「瀬戸内寂聴・卒寿の誌上説法/忘己利他/誰かのために祈る」


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■「あらゆる物が消えても、人はやっていける」と瀬戸内寂聴さん

東日本大震災で多くの物が失われ。しかし、それでも残っている物がある。作家、僧侶の瀬戸内寂聴氏が「人生にとっていちばん大事なもの」を説法する。被災地で暮らす方々は、その日を生きるのに精いっぱいで、今夜の寒さをどうするか、明日の食事をどうしようかと、気持ちを高めて一日を乗り切っているのが現状であることと思います。心の痛みについて考えたり、感じたりしている時間はないことでしょう。けれどもしばらく経つと、哀しみや沈んだ気持ちがどっとやってくるわけです。気持ちもウツになるでしょう。そのとき私たちは、被災者のことを決して忘れずに、誰か一人でもいい、被災地に暮らしているお友達でもいい、話し相手になったりずっと付き合ったりしていく気持ちでいるべきです。人生にとっていちばん大事なのは、目に見えないものですよ。心は目に見えないし、神も仏も目に見えません。だけど、その目に見えないものが、人生を本当に左右させているんです。戦後の日本人は、金や物といった目に見えるものばかりを大事にしてきました。外国人がびっくりするほど勤勉に、もとにあったものを取り戻そうとしました。お茶碗一つ取り返したら、今度はお盆が欲しい。その次は机も欲しい。着るものがあったら、次は飾る宝石が欲しい。その情熱によって、何もなかった日本は世界で有数の経済国になったでしょう。でも、そのとき心はどうだったのでしょう。幸福を守るのはお金ではなく目に見えないものなのに、それをどう扱ってきたか。だからこそ、いま最も疎かにしてはならないのは心です。祈りです。そして知識ではなく、人に優しく振る舞い、困っている人たちを助けようとする智慧です。たとえあらゆる物が消えてしまっても、体が残れば必ず心は残る。心さえ失わなければ、人はなんとかやっていける。私たちはその心を大事にしていかなければなりません。自分のためではなく、誰かのために祈る心。自分以外の人のための祈りは、いつか報われるときがくるからです。


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1995年阪神・淡路大震災激励CMに瀬戸内寂聴さんが出演

力を合わせて何とかここを切りぬけて行きましょう。あの戦争ですっかり焼けてしまった中から、私たちはこうして立ち上がったんですもの、人間の力を振り絞って、何とかして、この災難に打ち勝っていきましょう。人を救うのは人しかいない。


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■瀬戸内寂聴「もうこれ以上の困難は起こらない。そう信じる」

あのような自然の威力の前で、人間はいかに無力なのでしょう。家族は手を握っていても、その手を離さざるを得なかったでしょう。離して生き残った人は、それはつらいでしょう。目の前で家が潰れたり、肉親を失ったりする悲しみや絶望は、体験していない者には決して分かりません。それでも―─と私は思うんです。その哀しみや狼狽やつらさも、いつまでも続かない。この世のことはすべて生々流転、移り変わるのです。私は今年の正月で数えの90歳ですから、もう卒寿です。90年間生きてきて、いろんな目に遭ってきましたし、いろんなことを見てきました。子供の頃から日本が戦争をしていたので、物心付いたときから「非常時」という言葉を耳にタコができるくらい聞かされてきました。私たちにとって、「非常時」が日常でした。厳しい時代だったけれど、それでも嫌なことより楽しい思い出の方が記憶に残っているのは、私が子供だったからでしょう。大人になってさらに戦争がやってきた。私は中国の北京で終戦を迎えました。恐怖と心細さの中で命からがら日本へ引き揚げると、日本は焼け野原。郷里の徳島も空襲で、母親は防空壕で焼け死んでいました。どん底とは、まさにこのことだと思いました。だけど、そのつらさを忘れないで、人間はやっぱり生きていくしかないんです。「無常」という言葉があります。仏教で「無常」と言えば、人間が死ぬことを意味するでしょ。でも、私はそれだけじゃないと思っています。「無常」とは読んで字の通り、常ならずということ。同じ状態が人生で続くことはあり得ない。90年間を生きてきてつくづく思います。人生には良いことも悪いことも連れだってやってくるんですね。そして良いことばかりが続くことはなく、同じように悪い状態が永久に続くこともないんです。どん底の場所に落ちても、人は無常を思い、忍辱(辛抱する)を貫き通すしか術がないんです。家を失い、肉親が死に、一人ぼっちになった人たちの哀しみは計り知れません。でも、いま以上に不幸になることはあり得ない。もうこれ以上の困難は起こらないのだと、私たちは上向きになるしかないのです。そのことを信じる。どんなに雨が降り続いても、必ずやってくる晴れの日をじっと待つのです。必ずそれは終わります。あるとき気付けば、暗い運命にも光は射し始めるんですよ。


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■私たちにできること/作家・瀬戸内寂聴さん

◇声をかける、話を聞く、その気持ちが大切

◇他者にも思いはせて

私はこれまで、大きな天災が起こると必ず避難所に駆け付けてきました。法衣姿を見て安らいでくれるのか、被災した方々は笑顔を見せてくれました。慰問するのは出家者の義務と思いますが、皆さんだってできるんです。お年寄りに声を掛ける。話をじっくり聞いてあげる。肩をもむ。それだけでもいい。その気持ちが、大切なんです。昨年11月から背骨の圧迫骨折で療養を続けています。自分の足で思うように歩けない。今回ばかりはすぐ現地に行けない。とっても口惜しいんです。出家得度をさせていただいたのは岩手県平泉町の中尊寺でした。二十余年前には浄法寺町(現二戸市)にある天台寺の住職となって、法話のために通い続けてきました。東北の人は寡黙だけれど、優しく温かく、働き者で、辛抱強い気質なんです。それが、何の悪いこともしていないのに、悲惨な目に遭っている。お釈迦(しゃか)様が生まれた8日の「花祭り」に、チャリティーバザーを開きます。行けないから義援金を送る。既に多くの方からバザー用の品物が届けられていますが、私の所蔵品も多数出品いたします。京都市は、被災者を受け入れる場所を探しているようです。私の「寂庵」でも協力しなければいけないと考えています。日本は不景気です。一部の人を除いて皆が生活に余裕があるわけではありません。でも私たちは、暖かい部屋で、のうのうと眠っている。ご飯を食べてお風呂に入っている。被災地のためになにができるか--。そう一人一人が考えることこそ、私たち日本人に与えられた「宿題」ではないでしょうか。その気持ち、寄り添う心を忘れたら……。地震は、いつ、どこで起こるか分からない。明日は我が身に襲いかかるかもしれません。思い上がり、おごりを捨てて、自分以外、家族以外の人々にも思いをはせましょう。


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■「今こそ本分」福島・南相馬の僧侶、宗派問わず供養

中心部が福島第1原発から半径20~30キロ圏内にあり、政府が自主避難を促している福島県南相馬市。東日本大震災では、津波で多数の死者・行方不明者が出たが、多くの僧侶は避難したまま。葬儀もままならない状況の中、避難先から市内に戻って、ボランティアで供養を続けている僧侶がいる。原発から約22キロにある岩屋寺(がんおくじ)の住職、里見泰寛(たいかん)さん(46)は24日、家族を同県会津美里町の親類宅に残して、お寺に戻った。震災後、檀家(だんか)の安否や避難を確認した後、前住職の父、全英さん(74)や妻、中高生の3人の子を連れて避難していた。しかし、「南相馬では、読経もできず遺体が火葬されている」と聞き、居ても立っても居られなくなった。南相馬市で確認された死者は327人、行方不明者1147人。市営の斎場では4基の炉が24時間動く。里見さんは、市内にとどまっていた泉龍寺の住職、石川信光さん(58)と一緒に斎場に常駐し、宗派を問わずボランティアで供養をしている。「3ケタの番号で呼ばれる身元不明の遺体に接すると、やるせない気持ちがする」。でも、自分の読経で、遺族が安心したような表情を見せてくれる時は、やりがいを感じる。里見さんは「福島では原発のせいで何も手を付けられずにいる所が多い。そんな今だからこそ、僧侶の本分を果たしたい」と話している。


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■がれきの街に読経/盛岡の僧侶、歩き続け

28歳の僧侶が、震災でがれきと化した街で鈴を鳴らし、お経を唱えつつ歩いている。「一見、がれきに見えても、被災者にとっては一つ一つ思い入れのあるものです」。倒壊した家屋に静かに手を合わせる。盛岡市の石雲禅(せきうんぜん)寺副住職、小原宗鑑(そうかん)さん。托鉢(たくはつ)修行でたびたび訪れ、世話になった土地が無残に荒廃したさまを新聞やテレビで見た。2日に岩手県宮古市を訪れたのを皮切りに、死者の冥福と行方不明者の早期発見を祈りながら歩き続けている。遺族の要望があれば、無料でお経を唱えるつもりだ。