■「ひょっこりひょうたん島」も被災
作家の故・井上ひさしさんの代表作「ひょっこりひょうたん島」のモデルとされる岩手県大槌町の「蓬莱(ほうらい)島」が、東日本大震災の津波で深刻な被害を受けた。島は残ったが、灯台や鳥居が崩れ、陸と島をつなぐ防波堤も海中に消えた。町のシンボルとして愛されてきただけに、地元住民らは「いつか元の姿に戻ってほしい」と願う。「毎日散歩したり、釣りをしていた島なのに、もう行けなくなった」。漁業を営む岩間幸雄さん(74)は嘆く。島は弁財天が祭られ、出漁では島に手を合わせて安全を祈願する。夜の帰港では灯台の光が目印になった。「お供えもののイカを船から投げて豊漁を感謝した。島の弁天さまがどうなってるか心配だけど、船が流されたので見にいけない」大槌町では毎日、ひょっこりひょうたん島のテーマ曲が正午のチャイムとして流れていた。
毎年4月は地元の赤浜地区で「ひょうたん島まつり」が開かれ、夜店が出て虎舞などの郷土芸能で盛り上がる。だが住民の7割は津波で家を失い、漁業も船を流されるなど壊滅的な被害を受けた。まつりの実行委員長、黒沢豊勝さん(69)は「今年はまつりどころではない。震災後、町役場が壊滅してひょうたん島のメロディーが聞こえなくなり、さみしい」と話す。一方、町生涯学習課長の佐々木健さん(54)は前向きだ。「島そのものが残ったことは未来の希望になる」長年ひょうたん島を活用した観光振興に取り組み、井上ひさしさんとも親交があった。震災後、井上さんの妻ユリさんから義援金の申し出を受けた。「ひょうたん島は、島の問題をみんなで解決する共同体の物語。今こそ、その精神で震災に立ち向かう時なんです」。避難所で被災者に寄り添いながら、ひょうたん島の歌を心の中で歌っている。
苦しいこともあるだろさ
悲しいこともあるだろさ
だけどぼくらはくじけない
泣くのはいやだ 笑っちゃおう
進め
■町中心部から北東に約4キロ。海岸沿いに広がる吉里吉里地区は、小説「吉里吉里人」(1981年)のモデルとなった。東北の寒村が日本から独立をめざすという物語。ベストセラーとなり、同地区は「吉里吉里国」として井上作品のファンたちに親しまれてきた。高台のJR山田線吉里吉里駅には、多くのファンが足を運び、切符や入場券を買い求めた。地震と大津波で「吉里吉里国」も一面がれきの山と化した。約300世帯2500人が暮らすが、震災でこれまでに約30人が亡くなり、約45人が行方不明になっている。だが、震災当日に住民自ら対策本部を発足させ、翌日から、経営者の許可を得て、ガソリンスタンド地下のタンクに残された灯油や軽油の確保に乗り出した。地元の水道事業者らが、がれきの山からかき集めた配管といった資材を使って手動ポンプをつくり、13日までに設営。14日から油をくみ上げた。
灯油は避難所を暖める暖房機器に、軽油は、地元の建設会社や造園会社から提供を受けた重機に供給された。住民100人以上が重機と共にがれきの撤去に乗り出し、生活道路の確保を目指した。避難所で被災者の相談や要望を受け付ける芳賀広喜さん(63)は胸を張った。「吉里吉里国は大変なことになったけど、人々の結束はより強くなった。吉里吉里の人間であることを誇りに思う」
この避難所となっている吉里吉里小学校で、なんとドームを発見した。誰が設営したのか詳しいことはわからないが、どうやら仮設風呂のためのドームのようである。震災・復興支援として、ドームが活躍してほしいと願っている。