いひっ(41) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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■「陶芸の里」被害甚大/栃木県益子町


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東日本大震災は、陶芸の里にも大きな被害をもたらした。益子焼の在庫品だけでも1億円以上の損害が出ているとみられ、4月29日から始まる町最大のイベント、春の陶器市にも影響が出ると危惧されている。地震直後の町内の各販売店は、展示品の益子焼が散乱。がれきの山と化した益子焼をコンテナなどに入れて、店内を片付ける作業に追われた。壊れた益子焼などは、町内の1カ所に集められ、町が撤去する。被害が甚大のため正確な被害額が出るまでにはまだ時間がかかるが、販売店関係者らは1億円以上の被害が出ているとみている。町内には約300の窯元があり、このうち登り窯が約40基あるといわれている。ほとんどの登り窯が崩壊や亀裂が入るなどの被害を受け、修復が必要になっている。窯の修復や店舗の補修に掛かる費用、営業経費まで勘案すると、被害総額は数億円に上るとみられている。町には年間約200万人の観光客が訪れる。このうちの4分の1が春の陶器市に集中する。電気窯やガス窯も電気が必要なため、輪番停電が続けば、窯入れができなくなり、新しい作品が作れず、在庫不足になる。約50万人の観光客が訪れる春の陶器市にも影響が出そうだ。町商工会窯業部会の塚本倫行部会長は「今は被害状況の現状把握に全力を尽くしている。これからは、春の陶器市の対応を第一番に考えていきたい」と話している。


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●栃木県益子町の陶芸家、鈴木稔さん(48)はあの日、外出先から車で帰宅途中に強烈な揺れに襲われた。とっさに車を降りて自宅に駆けつけると、命綱である窯は原形をとどめないほど崩れ、丹精込めた作品は砕け散っていた。「積み上げてきた自分のキャリアも崩れた感じがしました」。東日本大震災では“焼き物の里”として知られる益子町や茨城県笠間市の窯も、壊滅的な被害を受けた。鈴木さんの工房では、丹精込めて作った500点もの益子焼の湯飲みや皿などが粉々になって散乱していた。自慢の「登り窯」は積み上げたレンガが無残に崩れ落ちていた。登り窯は内部が階段状になっていて薪の火が作品に不規則に当たるため、釉薬(ゆうやく)の広がりが独特の風合いを見せるのが特徴。鈴木さんがこだわる伝統技法の一つだった。震災から数日後。落胆していた鈴木さんの元に、地元の陶芸仲間や長年つき合いのあるファンが駆け付けた。割れた焼き物を片付け、励ましの言葉をかけてくれる仲間たちと過ごすうち、少しずつ気持ちがほぐれていった。原発事故や余震は収束していないが「不安や弱さを共有できる仲間の大切さを再確認できました」という。益子焼販売店の有志らで陶芸家たちを支援する「復興基金」の動きが来月から本格化する見通しだ。全国の益子焼ファンにも協力を呼び掛けるという。鈴木さんも登り窯を再建し、12月に東京都内で個展を開くつもりだ。「作品を発表していくことで益子の魅力をアピールしたい」


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●益子焼販売店協同組合などの試算によると、窯が倒壊したり商品が割れたなど、震災の被害総額は約7億7000万円。町内に約40基あるとされる登り窯も、町商工会窯業部会長の塚本倫行(のりゆき)さん(48)は「被害を受けていない窯はなく、ほぼ全滅に近いのでは」とみる。登り窯を修復できる職人は町内に2人しかおらず、復旧のメドは立っていない。


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■濱田庄司の登り窯全壊/益子参考館、収蔵品も半数損傷

人間国宝・濱田庄司(1894~1978年)ゆかりの益子町27 件益子の益子参考館は、濱田が使用していた登り窯が全壊、作品や世界から収集した約3千点に上る作品のうち、半数近くが損傷を受ける甚大な損害が出た。瓦の一部や土塀なども崩れ落ち、修理や整理のため約1カ月休館にする。益子参考館は濱田自身の作品と自ら参考にした作品を広く一般の人々に知ってもらうために1977年に開館した。館内は濱田庄司館を含む5棟の展示館と工房、登り窯などがゆったりと配置されている。地震で、濱田も実際に使用していた登り窯(塩釉窯)が全壊。別の町文化財指定の登り窯も一部が崩れた。館内には、濱田が作陶の参考にするために、古代から近現代まで幅広く欧州や中国など世界各国から集めた陶磁器はじめ、家具などの工芸品と自身の作品約3千点が収蔵されている。このうち半数が傷付き、町文化財指定の大皿も割れた。濱田庄司館の土塀の一部も崩れ落ちた。大谷石の展示室の屋根瓦の一部も落下、割れた瓦が地面に散乱した。同館は館内の整理や修理のため約1カ月閉館にする。同館の濱田友緒副館長は「あまりの惨状で手が付けられない状態だ。収蔵品の約半数に損傷があると思われるが、確認するには相当な時間かかかるだろう」と話している。


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●濱田庄司

神奈川県橘樹郡高津村(現在の川崎市)溝ノ口の母の実家で生まれる。東京府立一中(現東京都立日比谷高等学校)を経て、1913年、東京高等工業学校(現東京工業大学)窯業科に入学、板谷波山に師事し窯業の基礎科学面を学ぶ。1916年同学校を卒業後は、学校が2年先輩の河井寛次郎と共に京都市立陶芸試験場にて主に釉薬の研究を行う。またこの頃柳宗悦、富本憲吉やバーナード・リーチの知遇を得る。1920年、イギリスに帰国するリーチに同行、共同してコーンウォール州セント・アイヴスに築窯する。1923年にはロンドンで個展を開催、成功する。1924年帰国、しばらくは沖縄・壷屋窯などで学び、1930年からは、それまでも深い関心を寄せていた益子焼の産地、栃木県益子町で作陶を開始する。殆ど手轆轤のみを使用するシンプルな造形と、釉薬の流描による大胆な模様を得意とした。戦後、1955年2月15日には第1回の重要無形文化財「民芸陶器」保持者(人間国宝)に認定。また1964年に紫綬褒章、1968年には文化勲章を受章する。柳宗悦の流れをうけて民芸運動に熱心であり、1961年の柳の没後は日本民藝館の第2代館長にも就任する。また1977年には自ら蒐集した日本国内外の民芸品を展示する益子参考館を開館。1978年益子にて没。享年83。