思いを込めて(2)
亡くなった子どもたちへの祈り、そして思いや願いを・・・ランドセルで。
被災地でシャボン玉遊びをしている子どもたち・・・
だから、作品にはシャボン玉も描こう。
■唱歌「シャボン玉」(しゃぼんだま)
野口雨情作詞・中山晋平作曲の日本の童謡である。1922年(大正11年)に雑誌『金の船』に発表された。曲は日本に輸入された最古の賛美歌 "Jesus Loves Me,This I Know"(主われを愛す)を改変したものであるという指摘も有る。歌詞にはシャボン玉で子どもが遊んでいる様子が描かれているが、それには夭逝した子供への鎮魂の意があるという説もある。1908年、雨情は後に協議離婚に至った妻のひろとの間に、長女「みどり」をもうけた。人形のように愛らしい赤ん坊であったが、産まれて7日目に死んでしまった。当時は、乳幼児が死ぬのはさほど珍しいことではなく、2,3割の子供が学齢前に死亡していた。そのため、夫婦は子供を何人も産み、一所懸命育てた。雨情もその後何人かの子供を授かっているが、長女の死を後々まで悔やんでいたという。ある日、村(茨城県多賀郡磯原村)の少女たちがシャボン玉を飛ばして遊んでいるのを見た雨情が、娘が生きていれば今頃はこの子たちと一緒に遊んでいただろうと思いながら書いた詩が、この「シャボン玉」だというのが最もよく知られる説である。しかし、これを裏付けるような決定的事実は無く、説の段階を越えていないとする見方もある。これらの鎮魂歌説は、テレビ番組において定説であるかのように放送されたため、一般に広まった。しかしその他にも、時期的な観点から実子ではなく親類の子がモデルであるという説や、特定のモデルはなく子どもの死一般を悼んだものとする説、そもそも鎮魂の意は無いという説など、諸説存在する。なお、雨情自身が子どもの死との関連について触れている資料は一切無い。雨情の遺族の間でも意見が分かれており、現状では鎮魂歌説を含めいずれの説も確たる根拠を欠いている。
シャボン玉飛んだ
屋根まで飛んだ
屋根まで飛んで
こわれて消えた
シャボン玉消えた
飛ばずに消えた
産まれてすぐに
こわれて消えた
風、風、吹くな
シャボン玉飛ばそ
・・・無性にギターを弾きたくなった。