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平野三昧(11)


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「がんこ平野郷屋敷の庭は、万博の庭をつくられた木戸雅光さんの作品です。」と解説にあったので・・・・いろいろ調べてみました。


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●木戸雅光/木戸雅光作庭事務所/京都府京都市右京区嵯峨天龍寺北造路町

日本の造園家、作庭家。京都を拠点に活躍。主な庭園作品に、がんこ平野郷屋敷(大阪府)、松本閣・松山本店(京都府)、野崎観音(大阪府)、翠山荘(福岡県)、翠光園(兵庫県)など。また個人庭園も多く手がけている。


・・・確かに有名な造園家には違いないのでしょうが、残念ながら、万博「日本庭園」に携わったことが書かれていません。


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■万博「日本庭園」

1970年の万博開催時に日本政府の出展施設として造園技術の粋を集大成して造られた国内最大級の「昭和の名庭園」。今の業界の重鎮が若い頃、この日本庭園の造園設計工事に、関西の造園会社・関係者が総力を結集したのであろう。

大阪にある万博公園の広大な敷地の中にある日本庭園は、 1970年の日本万国博覧会に日本政府の出展物として日本の造園技術の素晴らしさを世界に紹介するために作庭されたものです。広大な万博公園の中でもかなりの面積を占め、総面積は約26ha、東西が約1300m、南北が約200mの横長の形となっている。またこの日本庭園の特徴は、庭園内に西側から上代庭園地区(平安時代8世紀~11世紀)、中世庭園地区(鎌倉時代12世紀~13世紀・室町時代14世紀~16世紀)、近世庭園地区(江戸時代17世紀~19世紀)、そして最も東側に現代庭園地区(20世紀以降)と、一つの庭園内に日本の庭園の歴史を表現しているところ。また庭園は西側の標高が高く、東側が低い配置となっていることを利用して、水源を西端に設け、そこからの水の流れを庭園の中心にして、特に近世庭園では江戸時代初期の池泉回遊・船遊式大庭園の表現のために、面積約11000㎡の巨大な心字池を中央に配し、その周囲には日本国内から集められた名木25種類108本の一部を配して、万博開催までにという短期間に見事な庭園を造り上げた。


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■株式会社「三芳園」

森三芳園の創業以来100年に亘り、大阪の象徴である『御堂筋の銀杏並木』、日本初開催の大阪万博『日本庭園』、大阪城『梅林』といった造園施工に加え、大阪初の洋風ホテル『浪花ホテル』への生花ショップの出店、『万博迎賓館』の生花装飾、リーガロイヤルホテルをはじめとしたホテル・結婚式場でのブライダルフラワーなど、伝統と革新の職人技にて時代を彩り、また、(社)日本フラワーデザイナー協会や阪神造園建設業協同組合等の設立に関わるなど業界創成に携わってきた。


関西の造園関係を調べていくと・・・


■株式会社「小島庭園工務所」

文化15年(1818年) 初代植木屋「喜助」創業

昭和08年     商号を『植為』とする

昭和24年     建設業の登録を受ける

昭和25年     商号を『小島庭園工務所』に変更

昭和43年     大阪万国博覧会日本庭園(石組その1)工事

■中根庭園研究所

1967年11月 万国博覧会日本庭園設計参加

■花豊造園株式会社

江戸時代から続く造園業の「しにせ」。京都御所や神社仏閣の庭園管理の庭師としての仕事が主であったが、東京オリンピック関連の公園や大阪万博、名神高速道路建設に伴う緑化工事、さらに沖縄海洋博の政府出展の公園や国際花と緑の博覧会の緑化事業などにたずさわる。


多くの会社が万博「日本庭園」に携わったことを誇りにしていることがわかる。


■阪神造園建設業協同組合

1965年(昭和40年)設立、当組合を構成する26社は、昭和の名園・吹田万博日本庭園の施工に携り、また組合員各社では造園施工に関する手法に特色があり、大木の植栽及び移植工事を得意とする業者、伝統的な庭園築造・管理を得意とする業者、大規模な造園土木を得意とする業者など多才なメンバーが活躍している。また、それらのノウハウを結集して樹木の鑑定調査業務、屋上緑化、壁面緑化、校庭緑化、ビオトープなど造園分野の多角的業務を展開している。

(株)稲治造園工務所・植村造園土木(株)・内山緑地建設(株)大阪支店・大阪造園土木(株)・(株)大阪緑花・(株)大西東山造園・関西植木(株)・関西造園土木(株)・関西緑地開発(株)・近鉄造園土木(株)・(株)クリエイティブ阪急・京阪園芸(株)・(株)昭和造園土・(株)三芳園・(株)関造園土木・(株)竹中庭園・(株)田中造園土木・(株)辻本龍松園・(株)庭樹園・東光園緑化(株)関西支店・(株)奈須造園・(株)西川造園・(株)明治園・富士造園土木(株)・(株)山都屋大阪営業所・(株)山本定樹園


「日本庭園」携わった会社が集まって、このような協同組合も結成されていた。これらは、あくまで職人さんたちであって、基本の設計は誰が中心だったのであろうか?


偶然、今年の叙勲記事を見ていたら・・・


■平成22年春の叙勲「瑞宝中綬章」上杉武夫

昭和15年、現在の大阪市生野区において代々造園業を生業とする家庭に生まれた。大阪府立大学で久保貞教授に造園学を学び、京都大学大学院在学中、大阪府立大学に同教授の助手として招かれ、同教授が造園家の日米交流に取り組んでいた縁から、権威ある米国人造園家との交流を深め、日本庭園も世界の舞台で活躍しなければならないとの意を抱くに至った。その後、カリフォルニア大学バークレー校に留学し造園学修士号を取得し・・・


昭和45年の大阪万博における日本館の庭園の設計に従事した後、京都大学農学部助手を経て、昭和45年、カリフォルニア州立ポリテクニック大学ポモナ校の環境デザイン学部造園学科に助教授として招かれ、再び渡米した。以降、今日に至るまで、日本庭園を「世界の日本庭園」にしたいとの信念の下、現場に出て庭職人とともに汗を流しながら日本庭園についての研究・実践に没頭し、米国における日本庭園の普及・発展に大きく貢献した。庭園は生活の一部という基本的考えの下、日本庭園が持つ特有の味わいを基本として、米国の気候・風土、米国人のライフスタイル・スケールに溶け込むような庭園を追求し、ロサンゼルスのリトル・トーキョーにある日米文化会館内のジェームズ・アーバイン・ガーデン、サンディエゴのバルボアパーク内の日本友好庭園をはじめ、著名な庭園を多数手掛けてきた。こうした同氏の庭園は、デザイン分野において特に高い評価を得ており、昭和56年、当時のレーガン大統領夫人から全米造園技術賞を授与されたのを皮切りに、数々の受賞を重ね、平成13年、日本庭園を基調とした理論、設計、施工技術の発展に尽くした功績が認められ、アメリカ造園家協会より「フェロー」の称号を授与された。


「日本館」の庭園とあるが・・・


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写真を見る限りにおいては「日本庭園」らしきものは・・・

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模型も調べてみたが、植栽程度は確認できるが「庭園」は見当たらない。ということは、素直に万博の「日本庭園」と解釈するべきなのかもしれない。



■「日本館」の解説としては、以下のとおりである。


●テーマ:「日本と日本人」
●所要時間:120分
●収容:7,372人
●会期中総入場者数:11,626,000人
●建築面積:14,604平方メートル
●延べ面積:22,030平方メートル
●設計:建設省・日建設計工務・近藤保
●施工:清水建設・大成建設・戸川建設・鹿島建設
●プロデューサー:日建設計工務 塚本猛次