絵道KAIDOをゆく(2)
■『街道をゆく』
司馬遼太郎による短編紀行文集。1971年(昭和46年)作者47歳の時に「週刊朝日」で連載開始、「竹内街道」は週刊朝日の1971年1月29日号から3月5日号に連載された。全行程は、難波東郊の司馬宅→天理→石上神宮(布留の里)→三輪山→大和高田→長尾→竹内→竹内峠である。
●1996年(平成8年)2月に作者急逝により、43冊目の『濃尾参州記』で絶筆(未完)となった。
●単行本は、朝日新聞社より昭和46年9月25日に初版発行。しかし、初版にはその表記がない。題字/棟方志功、え/須田剋太、装幀/原弘、地図/大川一夫。なお当初の文庫版は、民藝運動で著名な工芸作家「芹沢銈介」の装丁だった。
■芹沢銈介
1895年(明治28年)、静岡市生まれ。東京高等工業専門学校(現東京工業大学)で印刷図案を学ぶとともに、雑誌「白樺」を耽読し、梅原龍三郎、安井曾太郎、岸田劉生、中川一政に傾倒しました。芹沢にとって転機は二度ありました。その一つは民芸運動の創始者・柳宗悦との出会いです。
柳の論文「工藝の道」に心をひかれ、以来「師」と仰いで民芸運動に参加しました。もう一つの転機は、沖縄紅型(びんがた)を初めて見たときです。その美しさに触発され、沖縄において紅型の技法を学び、これを独自の型絵染に昇華して、自由で格調のある作品を生み出しました。
1956年(昭和31年)、61歳のときに型絵染で重要無形文化財保持者、いわゆる「人間国宝」に認定され、染色以外でもガラス絵、板絵など多彩な創作活動を展開しました。1976年(昭和51年)、文化功労者に選出され、パリの国立グラン・パレ美術館で開催された「芹沢銈介展」では、ヨーロッパの人々を魅了し、その名声は諸外国にもとどろきわたっています。染色家・芹沢銈介には、本の装丁家としての顔があります。昭和6(1931)年1月に雑誌「工藝」の装丁をしたのを皮切りに、最晩年に到るまで、生涯に500冊以上といわれる本の装丁を行いました。師である柳宗悦の著書はもちろんのこと、内田百閒、岡本かの子、海音寺潮五郎、川端康成、佐藤春夫、獅子文六、白洲正子、武田泰淳、丹羽文雄、山崎豊子、山本周五郎などの、著名な作家や評論家の本の装丁を手がけています。
●作家の佐藤春夫さんは、沈着冷静、知的な芹沢を「月光的」、天才肌、天衣無縫な棟方を「日光的」と称したそうです。