ぱくっ(33) | すくらんぶるアートヴィレッジ

すくらんぶるアートヴィレッジ

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

茶室考(13)


◆すくらんぶるアートヴィレッジ◆(略称:SAV)    若い芸術家たちの作業場・みんなの芸術村-いし1

■片桐貞昌(かたぎりさだまさ)

江戸時代の大名。大和小泉藩の第2代藩主。茶道石州流の祖として有名である。片桐石州(通称)。最初、千利休の長男・千道安の流れを汲む桑山宗仙に学んだといわれている。30歳の頃からは大和郡山藩主・松平忠明や近江小室藩主・小堀政一(遠州)らともよく茶席を共にしているほか、奈良の茶人とも交遊を深め、茶の宗匠として次第にその名が広がっていった。特に第4代将軍・徳川家綱のために『茶道軌範』を作り、なおかつ寛文5年(1665年)には家綱の茶道指南役となり、石州流を不動のものとした。茶人として貞昌が成功したのは、母方の祖父が有名な茶人のひとりである今井宗久だったからかもしれない。


◆すくらんぶるアートヴィレッジ◆(略称:SAV)    若い芸術家たちの作業場・みんなの芸術村-いし2

■慈光院(じこういん)

奈良県大和郡山市小泉町にある臨済宗大徳寺派の寺院である。山号は円通山。本尊は釈迦如来。寛文3年(1663年)、父の菩提のために慈光院を創立した。これは寺としてよりも境内全体が一つの茶席として造られており、表の門や建物までの道・座敷や庭園、そして露地を通って小間の席という茶の湯で人を招く場合に必要な場所ひと揃え全部が、一人の演出そのまま三百年を越えて眼にすることができるということで、現在も全国的に見ても貴重な場所となっている。慈光院の庭園は1934年に国の史跡及び名勝に指定され、1944年には書院と茶室が国宝保存法により当時の国宝に指定された(1950年の文化財保護法により重要文化財となる)。ちなみに徳川光圀、保科正之、松浦鎮信らは、茶道における貞昌の門弟である。


◆すくらんぶるアートヴィレッジ◆(略称:SAV)    若い芸術家たちの作業場・みんなの芸術村-いし3

■高林庵

二畳台目の茶室「高林庵」は寛文11年につくられ、書院の東北角に二畳の間(相伴席)を隔てて建てられている。相伴席を加えると四畳台目となるが、この形は石州が京都の屋敷につくっていたものと共通するそうである。外観は、切妻造柿葺き(こけらぶき)屋根、前面に土間庇をつくっている。躙口(にじりぐち)は隅に寄るのを嫌って右に袖壁を残していて、躙口の上の連子窓は柱間いっぱいまで設けられている。制約のなかでのゆとりの演出がすばらしい。内部は、点前座の横に床を設けた「亭主床」の構えをとる。亭主床は京都の西芳寺湘南亭にも見られる数少ない例である。床壁の入隅は塗り回してあり、床框(とこかまち)も塗框でなく面を付けた杉丸太である。天井は、客座から点前座まで一面に平天井であり、室内に高低をつくらない簡素なつくりで、竿縁が床に直行する「床刺し(とこさし)」の形式をとっている。床刺しは一般には慎まれるのであるが、石州の好んだ手法である。躙口から見て、中柱の向こうに入隅を塗り回した床を置き、竿縁の床刺しと平天井によって、視覚的に非常に奥深い空間が形成されることになる。中柱は、櫟(くぬぎ)の皮付で、ほぼ曲がりのないものだが、天井付近だけ強い曲がりを見せている。簡素な室内構成の中でこの中柱の個性がいっそう際だったものになっていて面白い。二重棚の釣棚は、上下同型であるのは利休好み、横竹より下に見せないやり方は織部好みである。天井の単一な構成と全体に簡素な用材を使うことによって、まとまりのある美しい侘びの空間に仕上げているが、窓の構成は、風炉先窓だけが下地窓で、他はすべて連子窓とし、点前座に対して客座の開放感を強めている。このようなところを見ると、石州は侘びた中にもおおらかさを加えた独自の手法を完成させていったことがわかる。内部から外部への広がりを演出する書院と同じく、この高林庵もその広がりを同調していて、そこにも石州の非凡な才覚があらわれている。


◆すくらんぶるアートヴィレッジ◆(略称:SAV)    若い芸術家たちの作業場・みんなの芸術村-いし4

■閑茶室

慈光院のもう一つの茶室「閑」。道安好みの逆勝手の三畳茶室です。にじり口はなく、貴人口から入る。下座に踏込床をそなえる。丸窓の風炉先窓が特徴的。この茶室は、高林庵に比べてぐっと暗くなるが、これは明かりが貴人口と風炉先の下地丸窓だけだからです。


◆すくらんぶるアートヴィレッジ◆(略称:SAV)    若い芸術家たちの作業場・みんなの芸術村-いし5

■當麻寺中之坊庭園「香藕園」は片桐石州が改修した大和屈指の名園。心字池の周りに飛び石を配し、散策して愉しむ「回遊式庭園」として設計されているが、実は石州は、後西天皇が書院および茶室から庭園を眺められることを予想し、それぞれの景観を計算して「観賞式庭園」の要素を同時に持たせた。風流大名として知られた石州の、巧みな構図による会心の作。


◆すくらんぶるアートヴィレッジ◆(略称:SAV)    若い芸術家たちの作業場・みんなの芸術村-いし6

■双塔庵

片桐石州作で「丸窓席」と呼ばれ、その名の通り方一間(直径約1.8メートル)もの大円窓が見事な名席です。片隅に「置き床」という小さい床の間が作られているのも珍しい意匠で、場所をとらない工夫が施されています。また、千利休が嫌ったという竹を用いていることも石州の独創性を示している。


◆すくらんぶるアートヴィレッジ◆(略称:SAV)    若い芸術家たちの作業場・みんなの芸術村-いし7

■知足庵

小間で、亭主が一対一で客をもてなす、形になっており、石州も特に好んだとされています。この小さな茶室に足る事を知ると言う知足庵という名が付けられている。