ナンテン(6)
注)本南天ではございません。
親切な広告には上記のように書かれているが、実際に南天の木を用いている箸はそうそうめったにないのが現実である。
南天の枝は通常径1~2センチですが、まれに数センチに成長するものがあります。木口にみられる年輪はかすかにしか見えず、むしろ放射上に描かれる模様が類例のない美しさを放ちます。樹皮をそのまま生かし、漆を拭いて仕上げます。茶入れや棗、アクセサリーに加工しますが、樹皮がはがれたり、木口に傷が入ったり大変難の多い材です。白南天と赤南天がありますが、材はあまり違わないようです。難転とあてて「難を転じる」の意に解釈される縁起木です。東京・葛飾の柴又帝釈天にある南天床柱が、推定樹齢1500年で日本一と言われています。(植物学者の故牧野富太郎博士による)。大客殿頂経の間に床柱となっていますが、昔は近江の伊吹山麓にあったものといいます。もしも輪切りにしたらどんな模様が表れるのでしょうか。京都の金閣寺にも南天の床柱があり有名です。
京都鹿苑寺(金閣寺)の夕桂亭(せっかてい。茶室)はナンテンの床柱で有名であるが、ここでは中柱(茶室内にはりだして炉隅に立てた柱)に用いられており、おそらく、ナンテンの柱としては日本で最大であろうといわれている。これは足利義満が海路はるばる琉球王国から取り寄せたものと伝えられている。また、東京柴又帝釈天、大客殿頂経の間にもナンテンの床柱があり、説明書によれば、かつて近江の伊吹山麓にあったもので、その直径は約30センチあり、日本一の大きさを誇ると書かれている。しかし、株から10センチほどのところで数本に分かれており、最も太いもので胸高直径は5センチ程度のものである。したがって床柱とはいっても、角柱の前に添えもののような形で据えられている。これは伊吹山下の坂田郡春照(すいじょう)村の旧家,的場徹氏の家の庭にあったものとされる。このほか日光の旧御用邸(現在は市の博物館)にも「南天の間」があるなど、尋ねれば他にもあると思われるが、本当にナンテンであるか、その信憑性を疑問視する向きもある。
金閣寺には、「夕佳亭(せっかてい)」という茶席があるが、これは義満が使ったものではなく、時代はうんと後、江戸時代になってからのものである。金森宗和(金森重近/1584~1656)による設計とのことで、三畳敷の母屋に二畳敷の「鳳棲楼」が連なっている。「夕佳亭」の名の由来は、「夕日に映える金閣寺が殊に佳い」ということからであるそうだ。建築時のものは1868(明治元)年に焼失。1874(明治7)年に再建された。
東京柴又帝釈天「大客殿頂経の間」
■静岡県島田市阿知ケ谷
香橘寺本堂中庭に大ナンテンの一株があり、推定300年とも言われている古木で大変珍しいものです。昭和33(1958)年に静岡県の天然記念物に指定されました。
SAVの山を探して、太い南天があれば・・・いいのにな。