ぱくっ(7) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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ナンテン(5)


◆すくらんぶるアートヴィレッジ◆(略称:SAV)    若い芸術家たちの作業場・みんなの芸術村-さかほぎ1


坂祝(さかほぎ)町は、加茂郡の西南、岐阜県の中南部に位置しています。東は美濃加茂市深田町および太田町に、北は同市加茂野町に、西は関市西田原および各務原市鵜沼宝積寺町に、南は天下の奇勝日本ライン木曽川を挟んで可児市および愛知県犬山市に接しており、 東西4.9キロメートル、南北4.3キロメートル、面積12.89平方キロメートルの町です。木曽川に沿って国道21号線およびJR高山本線が町の南部を東西に貫いています。町の中央部は郷部山丘陵が占め、これらを取り囲むように平野部が広がっています。西部には、城山などの急峻な山地が連なっています。


◆すくらんぶるアートヴィレッジ◆(略称:SAV)    若い芸術家たちの作業場・みんなの芸術村-さかほぎ2

町木:南天

常緑低木で四季それぞれの美しさを表わしています。冬は真紅の実を結び、樹皮は薬用、葉は慶祝に使われて、坂祝の地名を象徴し、町民の幸せを願います。


◆すくらんぶるアートヴィレッジ◆(略称:SAV)    若い芸術家たちの作業場・みんなの芸術村-さかほぎ3

■猿啄城跡

応永の頃(1407年)、標高276メートルの木曽川を見下ろす険しい岩山(大ぼて山)に築かれ、別名猿飛城、根尾山城、勝山城と言った。そこは犬山市栗栖、桃太郎公園の約1キロ上流にある栗栖の渡し跡の木曽川対岸の岩山に築かれていた。現在は北の麓に祠があり、大手口と屋敷跡と思われる遺構もある。山頂城趾は南北約4間(7.2メートル)東西6間(11メートル)の平地で、南北は絶壁、西側の絶壁にも遺構らしき石垣が2カ所あり、その下より尾根となって迫間不動に続いている。その山頂に平成9年、坂祝町誕生100周年を記念して猿啄城展望台が建てられている=写真。眺望は犬山城、鵜沼城跡、眼下にライン下りの船、国道21号線の車の流れが目に入る。かなたには御嶽山、白山、恵那山などが望める「つわものどもの夢の趾」を感ずる眺めである。


◆すくらんぶるアートヴィレッジ◆(略称:SAV)    若い芸術家たちの作業場・みんなの芸術村-めじろ1

■メジロは梅の花蜜に目がなく、早春には梅の花を求めて集まってくる。また比較的警戒心が緩く、姿を観察しやすい。いっぽう、梅が咲く頃によく通る声でさえずりはじめるウグイスは警戒心がとても強く、声は聞こえど姿は見せず、薮の中からめったに出てこない。またウグイスは主に虫や木の実などを食べ、花蜜を吸うことはめったにない。両種ともに春を告げる鳥として親しまれていたこともあってか、時期的・場所的に重なる両種は古くから混同されがちであった。古来絵画にある「梅に鶯」の主題を見ても、「梅に目白」を描いてしまっている日本画家も多い。また、そのウグイスとメジロの混同を示すものとして「鶯色」がある。ウグイス色と言った際に、ウグイスの灰褐色(オリーブ色に近い)を想像する人もいれば、メジロの緑色に近い色を想像する人もいる。


◆すくらんぶるアートヴィレッジ◆(略称:SAV)    若い芸術家たちの作業場・みんなの芸術村-めじろ2

この花札は一般に「梅にウグイス」であるが、デザインとしては「メジロ」にも「ウグイス」にも見える。

◆すくらんぶるアートヴィレッジ◆(略称:SAV)    若い芸術家たちの作業場・みんなの芸術村-めじろ4

上画像が「梅にウグイス」である。最後に・・・

■梅にうぐいす/北大路魯山人

・・・前略・・・「梅にうぐいすということは、言葉の語呂のよさでもなく、絵描きの都合上そうなったのでもない。やはり、うぐいす自身の自由な意志で、梅の木に止まるのですよ。それを見た絵描きが、いつもうぐいすが梅に止まるので梅にうぐいすを描いた。他の絵描きも描いた。年々このようにして梅にうぐいすが描き継がれてきた。歌人もこの事実を歌った。そして、幾春秋、梅にうぐいすは一つの真実の美から、概念の美になってしまった。あなたは新しいものを歌おうとされる。だが昭和のモダーンうぐいすもやはり梅の木に止まる。あなたが概念に囚われて机上で歌を作ろうとするから陳腐なのであって、あなた自身の目でこれを見て、感じて、歌われれば、決してそれは古くはないはずです。どうです?梅は何百年も前からある。うぐいすもそうだ。料理の材料だって人間の食べるものは、だいたい決まっている。古くから、人間が食べなれている料理だから、この料理の取り合わせは陳腐だといい切ってしまっていいかどうか。一つ、誰も試みていない新しいものを取り合わせてやれ。握り寿司にすましは古いから、一つ、すましのかわりにとんかつを添えてやれ、ということになったら無茶苦茶。うぐいすは梅を好む。好むところに調和がある。すきやきの後では茶漬けが食いたい。洋食の前にスープを飲めば食欲が出てご馳走がおいしい。すべて、好むところに調和がある。自分で食べてみればよくわかる。虎の掛け物に、置き物は竜を置いたり、うなぎの蒲焼きと一緒にはもの照り焼きを出してみたり……すべて調和か統一かが大切だ。そして、季節のいちばん感じられるものがいいとわたしは思う。色の配合も、調和か統一だと思う。そうかといって、今までのやり古された真似ばかりでは困る。真実を少しも見ず、聞かれて返事のできないようなことはやらぬ方がよいと思う」歌人はひねり回していたハンカチでそっと鼻の頭を押え、それからはなにもいわないで考えていた。料理のことを考えているのか歌のことを考えているのか、それは知らない。みなさんも自分の今やっている仕事の真実から、料理のことへ心を通わせて考えてみればわかっていただけることと思う。