ぽかっ(83) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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イサム(6)


◆すくらんぶるアートヴィレッジ◆(略称:SAV)    若い芸術家たちの作業場・みんなの芸術村-たかまつ1

私のつれあいの故郷は香川・高松、そんなこともあって、イサム・ノグチ庭園美術館や高松空港にある作品を見る機会に恵まれている。

■高松市から南に約15kmの台地に1989年12月、2千5百メートルの滑走路を有する大型ジェット機が就航可能空港として開港。当時は「新高松空港」という名称でしたが、1991年に「高松空港」と改称。現在の路線は、東京、鹿児島、那覇の国内3都市を結ぶ定期路線のほか、1992年には四国で初めての国際定期路線が韓国のソウルとの間に開設された。また、ターミナルビル3階の展望デッキからは、世界的に有名な彫刻家イサム・ノグチが高松空港のために制作したオブジェ「TIME & SPACE」を見学することができます。


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「美術学校へ行っていないのがいい。英語ができないのがいい。石が好きなのが一番いい。一緒に石の勉強をしましょう」・・・1964年、60歳のイサム・ノグチが石を求めて牟礼に来た。25歳の石職人と出会い、大作「黒い太陽」の制作を依頼した。石のアトリエ主宰、財団法人イサム・ノグチ日本財団理事長の和泉正敏さんは、出会いから亡くなるまで25年間、ノグチの片腕となり、没後は未完の遺作を完成させた。




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■イサムが1969年に高松市牟礼町にアトリエを設け、日本での定住場所とした。亡くなるまで20年間、NY、イタリアを行き来しながら、毎年数ヶ月ここで過ごし、数多くの作品を和泉正敏氏というよきパートナーの協力を得て生み出した。美術館は、「アトリエを美術館にしたい」という生前のイサムの言葉を守って和泉氏や準備委員会のメンバーが、作品の所有権をもつNYのイサム・ノグチ財団との粘り強い10年の交渉を経てようやく1999年に開館した。ノグチが生活し、創作した場であり、創り上げた庭、ノグチの生きた時間を受け継いでいる。高松駅から庵治行きのバスに乗り、30分ほど経つと「祈り石」のバス停に着く。牟礼町は庵治石という花崗岩の産地である。美術館までは石材店が多く、石を切る音があたりに響く。エナジー・ボイドは、意外にも古色蒼然とした蔵に静かに佇んでいる。すぐ横の大きな重い扉を徐々に開け放すと外光が差し込み、輝きを増す。スウェーデン産の黒御影岩で造られた四角い環から、見えないエネルギーが発せられる。蔵の中で見る、エナジー・ボイドは、新鮮だ。蔵にピッタリと収まっている。やはり、作品はここが安住の地であろう。


■イサム家は、丸亀の商家を移築したもの。亡くなる最後の十数年間イサムは暮らしていた。仕事を終えた後、イサムはここで多くの時間を過ごしたという。土間と居間にイサムの作品が数点置かれてある。際立つのは、岐阜ちょうちんにヒントを得てデザインされた和紙のあかりである。淡い光が土壁と合う。家の奥にある小さな日本庭園もいい。イサムの作った庭は、イサム家の横から急勾配の石段を登る。二段構えのような芝地に出る。もともとは、段々畑だったのを地面を掘ったり、盛り上げたものの、台風で何回も崩され、また直してようやく今の形になった。さらに上には、椀を伏せたような小山がある。全体は庭というより、これぞまさしく、イサムが目指した空間芸術、彫刻であろう。この芝地にイサムが好きだった桃の木、桔梗、女郎花の花が植えてある。カルフォルニアからユーカリも移植し、この庭を<母親レオニーに捧げるオマージュ>とした。

■白い小石がせせらぎの流れのように帯状にしきつめられた斜面をさらに登る。小山のてっぺんからは、屋島、特異な形の五剣山、瀬戸内海が眺められる。イサムが好んだ景色である。小山は緑の芝と草に覆われ、よくイサムは大の字に寝そべり、うたた寝したという。寝そべってみたくなる場所である。イサムが牟礼の地を気にいったことが納得できる。ここに1つだけ、玉子形した石が少し頭を傾けたようにぽつんと置かれてある。亡くなる3年前に岡山で見つけた万成石である。表面はザラリとした、黄土色の角のない見た目は柔らかな石である。生前、「この中に入ったら、どう?」と言った。一緒に牟礼で仕事をし、イサムの理解者であった和泉正敏は、イサムの死後イサムの遺骨がはいった壺をこの石に納めた。それ故、お墓といってもよいだろう。石は、無言で遠く、アメリカ、いや彼が今まで旅した世界を見据えているかのようである。この美術館は、通常の美術館のように作品をただ展示しただけのものではない。作家の生活、仕事そして魂までが感じられるイサムの生き様そのものである。そして、周辺の景色をも1つに合体させた、まさしく彼が求めた環境芸術でもある。


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■彼の生涯最大で最後の作品<モエレ沼公園>は、巨大な作品が並ぶ。彼の作品の集大成である。彼は、84歳の誕生日にマスタープランを披露し12月に亡くなってしまった。完成したのは、何と17年後の2005年。


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高松空港の「TIME & SPACE」そしてイサム・ノグチ庭園美術館の「小山」さらに「モエレ沼公園」、それらを通して感じるのは・・・


◆すくらんぶるアートヴィレッジ◆(略称:SAV)    若い芸術家たちの作業場・みんなの芸術村-こふん1

古墳。

和泉正敏さん