ぽかっ(30) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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オモダカ(2)


◆すくらんぶるアートヴィレッジ◆(略称:SAV)    若い芸術家たちの作業場・みんなの芸術村-くわい1


■クワイ(慈姑、英: arrowhead、学名:Sagittaria trifolia var. edulis)は、オモダカ科の水生多年草であるオモダカの栽培変種である。別名(田草、燕尾草、クワエ)とも言う。クワイの語源は河芋(かわいも)が変化したという説やクワイグリから転じた等の伝承がある。日本へは平安初期に中国から伝来したという説、16世紀に朝鮮半島より伝わったという説がある。くわいは、れんこんと並んで正月料理に欠かせない野菜の一つです。小さな球形から先のとがったくちばし状の芽が伸びている姿から、「芽が出る」と、昔から縁起をかつぐものとして、おめでたい席での料理に欠かせない野菜の一つである。くわいの名前は「鍬(くわ)芋」の略で、地上に出ている葉と茎が農具の鍬に似ていることからきています。くわいは、一つの根にたくさんの子がついています。その姿が母親が子供を慈しみつつ哺乳しているように見えるため、それを姑(しゅうとめ)にたとえて「慈姑」という字が当てられた。世界で野菜として栽培しているのは原産地の中国と日本だけで、日本には奈良時代に中国から伝来したといわれています。京都での栽培は1586年(天正14年)豊臣秀吉が京都を外敵から守るために築いた「御土居」に大量の土が運ばれた跡が湿地になり、そこでアイ(藍)をつくり、その裏作にくわいを栽培したのが始まりという。


■吹田くわいの記録は、今から300年前の貝原益軒の「大和本草」などにも取り上げられています。また、狂歌の作者としても、食通としても有名であった蜀山人(大田南畝)が、大阪での美味なものとして、「思い出る 鱧(はも)の骨きり すり流し 吹田くわいに天王寺蕪(かぶ)」という狂歌を残しています。食道楽の蜀山人を唸らせたほどであり、実際に吹田くわいは大坂名物番付の関脇に位置づけられていたことからも、美味であったことが覗えるのです。また、江戸時代後期の歴史家、漢詩人、陽明学としても知られる頼山陽が、母親の希望でわざわざ吹田くわいを取り寄せて喜ばせたという親孝行の話も伝えられています。江戸時代には、吹田が京都の仙洞御所の御料地になり、天皇をはじめ皇族方にも召し上がって頂けるように、4つの禁裏(本御所・仙洞御所、女御御所、大宮御所)に献上されました。その際、菊の御紋のついた竹製の大名駕籠を模した献上駕籠に乗せ、庄屋・年寄り・大百姓らがつき従い、高禄の大名行列も道を譲ったそうです。天和3年(1683年)から明治維新まで、200年近く献上が続いたのは、その味が最高に素晴らしいものであった証拠ともいえます。(明治天皇、大正天皇にも奉祝のために献納されたという記録が残っています。)また、明治以後の近代になってからは、日本の植物分類学の大家である牧野富太郎博士によって、吹田くわいの学名が名づけられ、昔中国から輸入された一般のくわいの1品種ではなく「オモダカ」が日本の肥沃な土地で成長進化したもので、吹田原産であることを明確にされました。昭和40年には、当時京都大学教授の阪本寧男氏が、吹田くわいは元々栽培されたものではなく、野生と栽培の中間の、世界でも数種しか発見されていない「半栽培植物」として伝わって来た歴史を持つ大変貴重な植物であることを提唱され、遺伝学研究上、世界的な注目を浴びました。


■沢瀉(たくしゃ)は、漢方処方で用います。頭痛、めまい、尿の出が悪いなどの場合を目標にして、強度のメニェール症、胃下垂症、胃アトニー症などに、沢瀉湯(たくしゃとう)を、沢瀉(たくしゃ)7.5グラム、蒼朮(そうじゅつ)5グラムを1日量として、煎じて服用します。口が渇いて、尿が少ない場合を目標に、二日酔い、乗り物酔い、腸カタル、胃アトニー症には、五苓散(ごれいさん)(沢瀉(たくしゃ)5グラム、猪苓(ちょれい)、茯苓(ぶくりょう)、蒼朮(そうじゅつ)各4.5グラム、桂枝(けいし)3グラム)を、1日量として煎じて服用します。その他沢瀉(たくしゃ)は、茯苓沢瀉湯(ぶくりょうたくしゃとう)、八味丸(はちみがん)、当帰芍薬散(とうきしゃくやくさん)、猪苓湯(ちょれいとう)などにも用いられます。漢方では、利尿(りにょう)剤とされるものに、茯苓(ぶくりょう)、猪苓(ちょれい)、沢瀉(たくしゃ)があります。これらは、同じ利尿作用でも、茯苓(ぶくりょう)は主に心臓、胃に働いて利尿作用を示します。また、猪苓(ちょれい)は主に腎臓系に作用して、炎症性の腎によく働きます。沢瀉(たくしゃ)は、胃、腎に作用して本来の働きを基にもどし利尿作用が表れます。


■オモダカの漢字表記は「面高」。文字通り葉の形が人の顔に似て、葉が花より高い位置につくことから。別名ハナクワイ(花慈姑)、クワイに比べて塊茎が小さく食用にならない為。古くはナマイ(奈末為または生藺)ともいわれ、ヤシコ(野茨菰)は季語にもなっている。クワイの漢名は「慈姑」だが、これは「クワイの根茎は一年に12子を生じる。ちょうど慈母が子供に乳をやって育てているようなものである。すなわちクワイは慈しむ姑あるいは自愛溢るる姑というので慈姑の字をあてた」(和漢三才図会)という。「澤瀉」の漢字を当てる事があるが、これは「従来澤瀉をオモダカというのは誤りで澤瀉は匙オモダカの漢名で、オモダカの漢名は野茨菰」(牧野新日本植物図鑑)という。匙オモダカは同じオモダカ科でもサジオモダカ属で一つの花が雄しべと雌しべを持つ両性花をつけ、この塊茎は「沢瀉(たくしゃ)」として漢方薬に用いられている。


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さて「イ菱」から「オモダカ、クワイ」の話に広がったのだが、新たに発見した「イ菱」物を紹介しておこう。


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歌舞伎の浮世絵は、とても大胆できらびやかである。紋などもイキイキと描かれている。この「イ菱」には周囲に●がついていて珍しい。


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しっとりとした羽織の「イ菱」紋である。


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「丸にい」の紋も見つけたので紹介しておきます。