イチジク(7)
■日本経済新聞・夕刊新小説「無花果の森」2009年11月9日から連載
本紙夕刊連載小説、山本一力氏の「おたふく」は7日で完結、9日から小池真理子氏の「無花果の森」が連載となりました。小池氏は1952年生まれ。出版社勤務を経て作家デビューし、96年、浅間山荘事件を遠景にした犯罪サスペンス「恋」で直木賞を受賞しました。ほかに「欲望」(島清恋愛文学賞)、「虹の彼方」(柴田錬三郎賞)などの著書があります。今回の連載では、映画監督の夫の暴力から逃げ、地方都市に流れ着いた30代の女と、警察幹部が絡む事件で無実の罪を着せられ、この寂れた土地に潜伏している週刊誌記者の男を描きます。不思議な因縁で結びつけられた2人はひかれ合いますが、追い詰められていく中で過去の謎が明らかになり、人間の業が浮かび上がります。挿絵と題字は、現代版画を代表する一人で、細密な描線で知られる柄澤齊氏が担当です。
■柄澤齊さんは、現代「木口木版」の第一人者でもあります。
■小池真理子さんは、今回の連載にあたり実際の舞台となる岐阜県大垣市で取材をされました。
■この大垣ドレスメーカー女学院が、主人公の泉が住み込み家政婦として働いている設定になっています。この建物の中庭に無花果の木があるはずなのです。
(11月26日「無花果の森」より)片道二車線の車道が、岐阜大崖の駅に向かってまっすぐに伸びている。車道の両側はアーケード付きの商店街である。三軒に一軒はシャッターが閉じられたままだ。一時的な休業ではなく、廃業になってしまったもののようだ。
(11月27日「無花果の森」より)廃墟 のような街だと泉は思った。目に付く汚れはなかったが、街は明らかに死んでいた。あまりに長くものを食べてないせいで、意識が時折遠のいておく感覚にとらわれた。向かい側にとんかつ屋の看板があったが、店は閉っていた。泉は顔をしかめつつ、アーケードから右手に折れてみた。その先の小さな交差点脇に「軽食喫茶・ガーベラ」と書かれた立て看板があるのが目に入った。祈る思いで近づいていくいくと「営業中」の札が下がっていた。
■以上のような表現があり、大垣市民にとってはマイナス・イメージが心配のタネとなったようでもある。
(12月18日「無花果の森」より)
「ふん、とにかくね、明日にして」
「あ、はい、仰るとおりにします。で、どちらへ伺えばよろしいですか?」
「もと大崖服装学院だった建物よ」
「わかりました」
「午後は駄目、午前中にしてちょうだい。それと悪いんだけど、来る時タバコを買ってきてくれない?お金は会ったとき払うから」
奇妙な時間が泉の中を流れていた。夫に使えるようにして生活し、だらしがないと叱られずにすむよう、家の中を隅々まで磨き上げ、頼まれた映画の数々を録画したり・・・。1つでも忘れると、怒鳴られる、殴られる。そうでなくても敵意ある目つきで見られ、あげくの果てに泉の人間性を徹底的に否定した。
(2月4日「無花果の森」より)
「いいかい? ここから中庭に出るとわかるだろうけど、あたしのアトリエが丸見えになるんだよ。例の友達が住んでたときは、彼は私に遠慮して、絶対に中庭には出なかった。だから、あんたも同じようにしてほしい。この窓は開かずの窓。カーテンを開けるのは構わないけど、外には出ない。いいね?」
泉は大きく頷いた。
「夏の夜なんか、簡易テーブルと椅子を出して、木陰でビール飲んだこともあったけどさ、彼と」
と八重子は懐かしそうに、しかし、寂しげな皮肉を込めて言った。
「そんなのも過ぎた話だ」
「あ」と泉は小さく言った。「何か実をつけていますね、あの木」
「そりゃあ、そうさ。無花果だもの」
「無花果?」
「果物だよ」
「はい、良く知っています」
泉はふと、八重子の部屋の玄関脇に掛けられていた表札を思い出した。そこに彫られ、彩色が施された植物の葉の絵が、無花果の葉の絵だったのではないかと思った。
■主人公の泉は老女性画家のアトリエに住み込みで働くことになったのである。
(2月15日「無花果の森」より)
「それ、なんだと思う?」
「これ、」ですか?」
「そうだよ、今、私が描いているうやつ」
「何かの木のようですね」
「無花果だよ、うちの庭の」
「あ」
「似ても似つかないって言いたいかい?」八重子は珍しく笑顔のまま聞いた。
「あたしの目にはこんなふうにしか見えないんだよ。昔は、デッサン力がないと、とんでもないこと言われて、さんざんこきおろされてきたんだけど、まあ、コレがあたしの絵だから、どうしようもない」
「先生の絵はどれも力強くて…。なんか見てるだけで元気になれるような、力をもらえるような、そんな気がします」
「ほう、そうかね」
「エネルギーが溢れてる気がするんです。すみません、絵のことなんか、何もわからないんで、失礼なこと言ってるのかもしれませんけど」
「別に失礼じゃないよ、まっとうな感想だ」
「お庭に無花果は先生が植えたんでしょうか?」
(2月16日「無花果の森」より)
「旧約聖書の話はあんたも知ってるだろ。アダムとイブが裸を隠すのに、無花果の葉を使ったって」
「あ、はい」
「何かを隠したり、何かから隠れようとしている時に利用していたり、なあんてね。だいたい、無花果の花は外から見えないんだ。花が見えないのに実を結ぶ。どうしてか教えてやろうか。無花果の花は隠れて咲いてんだよ。見えないところで」
「どこで咲いてるんですか」
「実の中」
「え?」
「あたしたちが食べることになる実が、まだ熟さない頃、内側にたくさんのちっちゃな花をつけるんだよ。しかしねえ、そこまで隠れて花を咲かせなくなっていいだろうにねえ。因果を含めた植物だ」
「お描きになるのは植物が多いみたいですね」
「人物なんて全く興味がない。あんなもん、薄気味悪くて、描く気もおこらない」
言われてることの意味が飲み込めかった。泉は曖昧に頷いた。
「ところでさ、そんな話はどうだっていいよ。あんたに聞きたいことがある」
■とまあ、結構おもしろい展開で、大垣市民に賛否両論はあるものの、少しでも大垣市のPRになればと、期待する声もある。いずれは、映画化されるのでは?