ぽかっ(20) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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イチジク(6)


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■ギリシャ神話に登場する収穫の女神デメテルは、アテナイに住むピュタロスという男の歓待を喜び、その地に初めてイチジクを生じさせたと言われています。またイチジクの栽培方法を人々に伝えイチジクの名付け親と言われています。


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■ギリシャの名産品に、イチジクがあります。その甘さ、濃厚さ、プチプチした食感がたまりません。イチジクの歴史は古く、アラビア半島が原産と言われ、ヨルダン渓谷の遺跡、エジプトの壁画上でも発見されています。ギリシャでも、この果物との関わりはとても古いです。ギリシャ語ではシコ(複数形はシカ)という名前で、紀元前にまずクレタ島に伝わり、その後、ギリシャ全土に伝統的食料として広がり、大切にされてきました。古代では食用、薬用としてとても珍重されていたため、一部の種類は、輸出を禁止した法律があった時代もあるほどです。多くの花が詰まっていることから、繁栄、多産の象徴であったとも言います。またギリシャ神話の中では、女神デメテルがイチジクを作ったと書かれています。写真の黄緑色のイチジクが「バシリカ」という呼ばれる種類で、「王様」という意味を持つだけのことはあり、とてもおいしく、値段も高いです。黒っぽいイチジクが「マブロ(黒)」という種類で、割ってみると、周りの黄色い果肉が多く、真ん中の赤い花の部分が少なく、甘みも薄いです。古代ローマでもイチジクは「聖なる木」として珍重され、当時、少なくとも29種類ものイチジクがあったそうです。イチジクは、まず地中海地域に伝わり、その後、スペイン人の遠征によって、世界に伝えられました。今では、ギリシャを始め、トルコ、スペイン、ポルトガル、アメリカのサンディエゴなどが名産地として知られています。このギリシャの宝とも言えるイチジク、生で食べるのが最高ですが、季節が合わなかった場合は、乾燥イチジクやシロップ漬けもお勧めです。乾燥イチジクは、その夏の収穫物で作ったものが10月頃から市場に出てきます。ちょっと堅いですが、噛めば噛むほど味が出て、美容や健康にも良いし、おみやげにも最適です。また、「グリコ・クタリウ」と呼ばれるシロップ漬けは、ちょっと日本人には甘すぎる感がありますが、ギリシャの伝統食品です。昔、ケーキ屋さんなどがなかった頃は、一家の主婦は、季節の果物をシロップ漬けにして保存食にし、お客様へのもてなしに出したりしたそうです。今では、他のお菓子に押され気味ですが、ヨーグルトにかけて食べたりするとおいしいです。


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■桝井ドーフィン

品種改良がほとんど行われないことから日本では8割が「桝井ドーフィン」です。桝井ドーフィンは栽培のしやすさ、日持ち性などから好まれています。桝井光次郎(1880年3月19日 - 1950年12月1日)は、実業家、種苗業者。現在日本で栽培されるイチジク(無花果)の主品種「桝井ドーフィン」創始者。広島県佐伯郡 宮内村(現・廿日市市)出身。1887年、宮内村から初めてハワイへの海外移民が始まり、幼少のころから海外雄飛への夢をふくらませた光次郎は尋常小学校卒業後、家業の農業に従事していたが1902年、好きだったバラの苗木の育て方を習うため単身アメリカに渡る。カリフォルニアの農場で6年の間、果樹花木 類の繁殖、育成の最新技術を学ぶ。しかし肺病と誤診され1908年帰国し桝井農場を設立。渡米の当初の目的だったバラ作りは日本では早過ぎて成功せず。そのかわりカリフォルニアから持ち帰ったイチジク・ドーフィン種の3本のうち、たまたま1本に実がつく。兄に「これは売ってみるといい」と勧められイチジクの苗の生産・販売を始めた。広島には果樹の大産地がないため他県に出て販売、自転車と汽車を使って全国の農会(今の農業協同組合)や農家を営業して回る。当時全国に苗木を売って歩いたのは桝井農場ただ一つであったという。


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光次郎が売りこんだイチジクは、それまでに日本にあった在来種の「蓬莱柿」や外来種の「ブラウンターキー」の2倍の大きさ、また収量も蓬莱柿の2倍、ブラウンターキーの3倍も上がり栽培者の注目を集めた。新物食いで、目先のきいた光次郎はバラ作りから一転、この新種と思われるイチジクの苗木生産と販売に力を入れ、アメリカ仕込みの苗木生産の技術を駆使し日々、挿し木を行いこのユニークなイチジクの生産に力を入れる。当初は「ドーフィン」の名で販売していたが秋にも実をつけ、また夏果の果形もドーフィンと異なるなどの理由で、区別するため桝井の名前を付けて「桝井ドーフィン」と呼ばれるようになった。日本で園芸 研究が本格的に始まったのは、1902年に静岡県興津町(現・静岡市清水区)に農事試験場園芸部が設置されてからで、光次郎が導入したイチジクについては試験成績はほとんどない中で日本に定着させイチジクの代名詞となるまでに仕立てあげた。大正時代には秀逸なパンフレットの作成や園芸雑誌などへ積極的な広告掲載で販売が拡大、昭和 に入ると「桝井ドーフィン」は全国に浸透した。


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■無花果の顔

門脇家の庭には、花の咲かない無花果の木がある。門脇家は、ごく平凡な家族だが、何かが違っていた。ある日、工務店に勤める父が、家を出てウイークリーマンションを借りる。他人の手抜き作業を徹夜で始末するためだが、何も知らない母は内心穏やかではない。仕事が終わると、父は電話で「明日帰る」とだけ告げる。「突然帰って来られても困るわ」と文句を言いながら、父の好物を用意する母。父が帰ると「お父さんが帰って来ると、うるさくていいわ」と、陽気に笑った。その父が突然、職場で倒れ、帰らぬ人となった。

女優・桃井かおりの監督デビュー作。ハリウッドでは、俳優が監督やプロデュースをするのは珍しくないが、日本でこれだけ知名度のある女優が劇場映画の脚本を書き、監督するのは、初めてではないだろうか。しかも、完成度は極めて高いのだ。「無花果の顔」というタイトルからすでに桃井かおりの匂いが漂う。蓋を開ければ、奇妙な登場人物に、意味のつながらないセリフが続く。それなのに、温かく、一度入ったら抜け出せないような心地よさがある。この世界観は、何にも例えようがない、全く新しい映像体験である。世間が持つ、「桃井かおり」のイメージを、そのまま映画にした、と言うべきか。出演者は、山田花子、石倉三郎、HIROYUKIなど。


◆すくらんぶるアートヴィレッジ◆(略称:SAV)    若い芸術家たちの作業場・みんなの芸術村-めがみ6

■先端にリンゴ・イチジク・ビワ・ザクロ・サクランボなどを盛った籠がある。ガウディは生き物のすべて、中でも木や草をとても愛した。だからガウディの作品には頻繁に植物のモチーフが登場する。