家紋について(2)
「イ菱」について、かなり調べましたが、今もってその由緒はわかりません。上の絵では、「イ」は目立たず菱形としての認識が強いようです。
■屋号「成駒屋」定紋「イ菱」
二代目 中村鴈治郎(にだいめなかむら がんじろう、明治35年(1902年)2月17日 - 昭和58年(1983年)4月13日)は昭和を代表する歌舞伎役者の一人。上方歌舞伎の伝統を継承し、立役から女形まで幅広い芸域を誇ったが、特に父初代鴈治郎譲りの二枚目役においてその本領を発揮した。本名は林好雄(はやし よしお)。
このように並べると、本当に美しい紋様だと思います。
■成駒屋(なりこまや)
歌舞伎役者の屋号。四代目中村歌右衛門が、公私にわたって親交を暖めていた四代目市川團十郎から「成駒柄」の着物を贈られたことに感謝して、それまでの屋号・加賀屋を改め、将棋の「成駒」に團十郎の「成田屋」をかけて、成駒屋としたのがその名の由来。
カタカナの「イ」のようにも見えますが、「ス」かもわかりません。中央に「又平」の文字が入っています。
「橋」の紋も新たな発見はありません。一般に「建造物」の項に分類されているようですが、以下のような解説もありました。
■道具紋
知恵の輪、コマ、七宝、扇、枡小槌 梯 短冊 筆 鞠 など道具の紋で、その道具の持つ意味の願い事を叶えるパワーを紋を支配する神から与えられるとされています。何故、道具は、地の神の領域かというと、大抵の道具は、土から作られる事が、多かったからです。籠を編む材料になる、芦や藁も土に生えていた植物だからです。道具の持つパワーの意味は、例えば、算木、梅鉢は、菅原道真を意味し、彼は、怨霊としても有名ですが、天才だったので、彼の愛用した道具が、頭が良くなるパワーを与えられる紋となり、太宰府天満宮をはじめ、天神社の家紋となりました。五徳は、炭火の上の釜や鍋を乗せる、三脚、四脚ですが、中国の儒教では、五徳という意味は、温・良・恭・倹・譲の徳とされ、日本の武家では、知・信・仁・勇・厳の徳という意味があります。こういう徳のある人間が、自分の家から生まれる事を地の神に祈り、五徳の家紋を持ちました。コマや知恵の輪等は、知恵を発達させる遊び道具なので、この家紋を持つ事で、賢くなるように、家紋にしています。梯、欄干は、出世を祈った紋です。
私は勝手にこの「輪宝」紋をアレンジしたのではと考えているわけですが・・・
■輪宝
古代の仏教では、法(真理)をもってこの世を治める王を転輪聖王といった。輪宝は、この転輪聖王の感得する七宝のひとつで、聖王は巨大な車輪を武器とし、人間の迷いや悪の根を断ち、世の中に平和と幸いをもたらすことを願いとした。輪宝は法輪ともいわれるが、仏の教えは一つところに止まることなく、あらゆる方向に転回してゆくことをあらわしたものであった。それが、輪宝は「真理を回らすもの」であることに意味が抽象化され、仏教のシンボルとなり広まっていった。インドの国旗の中央に描かれているのも輪宝である。輪宝は、仏教伝来とともに日本にも伝来した。日本で最も古いものは、薬師寺の仏足石に刻まれた輪宝といわれている。平安時代に描かれた国宝の『信貴山縁起絵巻』「延喜加持ノ巻」には、たくさんの剣を鎧にした童子が輪宝を廻しつつ天を懸ける情景が描かれている。すでに輪宝が文様として、寺院などに広まっていたことが知られる。やがて、仏具として重んじられるとともに、護身用の武器として用いられて修験者の間に広まった。修験道は役の行者が開祖という山岳信仰に発した古神道の一つで、その実践者は修験者または山伏とよばれた。かれらは仏教に帰依するとともに武力集団としての側面も有し、のちには山から里におりて神官になった例も多い。このようなことから、輪宝は寺院の印となり、とくに天台系の聖護院ではこの紋を大切にした。やがて神仏混淆の時代になると、神部神社や六所神社などでも神紋に輪宝が用いられるようになった。いまも、修験道系の寺院や神社で輪宝の紋を見ることが多い。輪宝紋は車のカタチをしているのが特徴で、剣のカタチをした矢が数本ついている。その矢の数によって「三つ剣輪宝」「八剣輪宝」などと称された。『見聞諸家紋』には、讃岐の三宅氏が使用と書かれている。江戸時代には、大名の三宅、加納、津軽の三家が用いた。三宅氏の祖は、南北朝時代に南朝方で活躍した備前の武士児島高徳であるという。その子孫が備前はもとより三河へも移住したことで、輪宝紋は三宅氏の代表的家紋して広まった。一方、三宅氏は三宅連の子孫で、備前国児島郡三宅庄から起こったともいう。三宅庄は聖護院との関係も深く、修験道五流のあるところであった。当然、修験者も多く、みな輪宝を所持していた。それが、のちにシンボル化されて三宅氏の輪宝紋が生まれたようだ。そして、佐々竹・漆戸・塩入・根本など三宅一族と思われる諸氏が輪宝を家紋としている。戦国時代に摂津の国人として活躍した三宅氏は藤原姓を称したが、家紋は「重折敷輪宝」を用いた。輪宝紋は、出自に関わらず三宅氏が好んで用いたことが知られる。津軽氏のものは「菊輪宝」と呼ばれるものだが、他に「卍」を用いており、旗印は「錫杖」で、仏教に関わる標を好んで用いているのが面白い。