シュール考(1)
なぜ・・・「まどろむ」・・・という言葉が気になったのだろうか?
自分の思考回路を探っていくうちに・・・だどりついたのが
「マルドロールの歌」であった。
現在、上画像の粟津潔さん装丁本は入手できないが、黒い唇を横にしてドリッピングというデザイン。マン・レイの唇を彷彿とさせる。
ロートレアモンを発掘?したのは、シュールレアリズムの帝王アンドレ・ブルトンである。
あまりにも有名な・・・
「解剖台の上のミシンと蝙蝠傘の出会いのように美しい」
Beau comme la rencontre fortuite sur une table de dissection d'une machine à coudre et d'un parapluie
このフレーズにブルトンは触発されたわけである。
そして、シュールレアリズム宣言「溶ける魚」を発表したのである。
この魚を用いた顔の装丁・・・まるで児童画のようでもある。
ブルトンは「ナジャ」という女性との出会いの体験を発表している。
「ナジャ」という名前は、ロシア語の「希望(ナディージダ)」という言葉からつけられたらしい。
その本の最後に・・・
「美は痙攣的なものであるにちがいなく、さもなくば存在さえしない」と記されている。
画像の上段も粟津潔さんの装丁であるが、これもまた現在入手できない。
現在、私自身「写真造形(フォト・マジック)」にはまっているわけだが、マン・レイの作品から触発されることも多い。
マン・レイは、「解剖台の上の・・・」に触発されて、そのままズバリの作品も残している。
マグリットの挿絵・・・
ベルメールの挿絵・・・など、多くの作家たちが触発され作品を残している。
そんなこともあって、「マルドロールの歌」が私自身の思考回路に巣食っているようであり、
しばらく「シュール考」として展開してみようかと・・・考えているところなのである。