1968年ピカソ86歳「347シリーズ」描かれた連作に、多くの批評家がこれを「不能老人のポルノ幻想」、あるいは「時代遅れの画家のとるにたらぬ絵」とみなした。長い間支持者として知られた批評家のダグラス・クーパーさえ「狂った老人の支離滅裂な落書き」と評した。しかしピカソ本人は「この歳になってやっと子供らしい絵が描けるようになった」と言い、悪評は一切気にしなかった。
この最後の版画集・・・分厚い2冊組の本を入手した。
さらに死の前年1972年まで「156シリーズ」の銅版画が制作された。晩年のピカソの作風は、のちの新表現主義に大きな影響を与えたと考えられている。ピカソは死ぬまで時代を先取りする画家であった。
1967年 シカゴで巨大彫刻『シカゴ・ピカソ』公開。
老いて・・・なお若いピカソ。
この遊び心・こども心・・・小さなこと、くだらないこと、そして無駄なことにも常に真剣に向き合って生きる・・・
・・・1973.4.8 ムージャンで死去。