墓碑銘「死ぬのはいつも他人ばかり」を寺山修司が好んだ・・・ということで
青森縣のせむし男/作:寺山修司/演出:鈴木完一郎/美術:横尾忠則/主演:美輪明宏 さあさあお立合い!これからお目にかけますは、ひとりのせむし男の世にも悲しい母恋い地獄の一幕「青森縣のせむし男」、演劇実験室天井桟敷の旗揚げ公演。
「見世物の復権」をテーマに1967年、寺山修司、横尾忠則等で既成の演劇界に多大な話題をなげかけた。横尾忠則は「寺山修司は横尾忠則がほしかったのではなく、寺山修司的な横尾忠則がほしかったのでは」と言っている。
ということで、続いて横尾忠則の登場です。
文部科学省が2008年3月25日に公表した高校美術の教科書検定で、日本文教出版が収録しようとした横尾忠則(Tadanori Yokoo)さん作製のポスターが高校生に「適当でない」と判断され、別の作品に差し替えられた。ポスターは1965年、舞踏家の故・土方巽(Tatsumi Hijikata)氏らの公演の宣伝のために作製された。(c)株式会社ヨコオズ・サーカス。
裸の姉妹が並んだ16世紀の絵画作品「ガブリエル・デストレとその姉妹(Gabrielle d’Estrees and One of Her Sisters)」をモチーフとしており、一方がもう一方の乳首をつまむ様子が描かれている。問題にされたのは、左上にある「私の娘展示即賣會場」の小さな文字だ。
「健全な情操の育成について必要な配慮を欠いている」との意見がついた。日本のアンディ・ウォーホル(Andy Warhol)とも称され、世界に名を馳せている横尾氏。AFPのインタビューに対し、今回の決定は「文化的鎖国」であり、呆れてしまうと語った。また「『私の娘』とは作品のこと。芸術家が作品をつくる場合には子どもを産むという表現をするものだ」と説明した。横尾氏によると、「私の娘展示即賣會場」という言葉は、土方氏が提案した。『作品の販売』というような「商売的でいやらしい」表現は使いたくなかったのだろうと横尾氏は言う。「このフレーズは、美術という限定された枠内の、創造的な世界の出来事として使用されているのです」。日本文教出版の編集者は今回のように些細なところで意見がついたことについて驚いたという。個人的見解として、検定の判断は「本来の作品とは違う見方だ」と話した。
この作品の作者はわかっていません。二人の美しい女性が画面のこちら側に視線を送りながら、妹は姉の乳首をつまみ姉は指輪を左手でつまんでいます。ガブリエル・デストレはブルボン王朝の創始者アンリ4世の愛妾であり、このとき、ちょうど妊娠していたと言われています。アンリ4世はガブリエルを愛するあまり王妃マルゴを退け、彼女を王妃の座に就けようと画策したのですが、ガブリエルは産褥のときに容体が悪くなり、亡くなってしまいます。そこには、王妃マルゴによる毒殺説もあるようですが、今となっては真実は霧の中です。ところで、乳首をつまむ仕草は、王の子を身ごもっていることを暗示しているとの説もありますが、なんとも不思議な作品です。
教科書検定がこのような状態ですから・・・それこそ、やっぱり「まよなか科」の教科書を作らなければ・・・と思うわけです。
横尾・・・「横顔」シリーズの制作
柿渋に続いて、色染料を型紙で刷り込みました。
まずまず・・・イメージどおりです。
発泡スチロールを電熱カッターで・・・
パネルに貼ってみました。