まよなか科(14) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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歌麿に続いて、現代の浮世絵師とも言える伊坂芳太良さんと米倉斉加年さんを紹介しました。


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米倉さんは俳優としても活躍中です。そして、モジリアニ・ゴヤ・シーレ・クリムト・ロートレックと立て続けに掲載しました。


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そして・・・「まよなか科」のメインともいうべき尾形光琳に辿り着きます。


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■小林太市郎(1901年-1963年)美術史家・芸術学者

西田幾多郎門下の哲学畑の出身で、初期にはベルグソンなどを研究していたが、やがて美術を中心課題とするようになった。研究対象は大和絵その他の絵画や陶磁・仏像・ジャポニズムなど、和漢洋の様々な時代の美術とそれらの間の影響関係、更にマラルメ・蕪村・王維などの文学にも及び、多くの先駆的業績を残した。また、『芸術の理解のために』などで独自の芸術論を展開している。以上のように研究領域が極めて多方面にわたる一代の碩学であり、「東洋のブルクハルト」と称された。博覧強記と広い視野に支えられつつ大胆な推論を展開するため、通常の実証的な学者にはない魅力を持つが、批判されることも多い。この性格は梅原猛にも影響を与えており、梅原は著作集の解説で小林を「明治以後の日本で最もすぐれた美学者」としている。一方、小林と共に琳派の研究に従事した経験のある山根有三は、小林を恩師として敬愛しながら、その学説に多くの修正を加えている。芸術作品をその根底に潜む性的欲望を中心に分析する傾向が目立つので、フロイト的と評されることもあり(本人はフロイトを嫌っていたが)、その典型例が『光琳と乾山』(著作集第6巻)における「紅白梅図屏風」の解釈である(画面中央の川を女体とし、両側の梅樹を男性とする)。また、芸術による救済を説く点でショーペンハウエルとの類似性も指摘されている。


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■『雁金屋草紙』鳥越碧 第一回(1991年)時代小説大賞受賞作

父が後妻を迎えることになり、奈津は、大伯母(大叔母?手元の本では大伯母となっている)の一樹院の仕切る雁金屋に奉公に出されることになります。そこで、雁金屋の当主・宗謙の三人の男子たち、藤三郎、市之丞(後の尾形光琳)、権平(尾形乾山)と出会います。ある日、一樹院の留守に、奈津が、一樹院の小間使い・お美乃とともに調度品を磨いていると、母の佐和に叱られ、突然飛び込んできた市之丞が、一樹院の愛用の硯箱の蓋を壊し、「奈津や!」と叫んで逃げ出します。市之丞が、寿命院の縁の下にこもっていると知った奈津は、硯箱を壊したのは自分ではない、と濡れ衣を晴らして欲しい一心で、市之丞を説得すると申し出ました。(1991.1講談社)


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2008年明治座「元禄めおと合戦―光琳と多代―」

京と江戸で活躍した絵師、尾形光琳と妻、多代。遊び人の亭主としっかり者の女房、そんな夫婦と二人をとりまく人々の悲喜こもごも・・・。時は元禄、京都の街に型破りな男が一人。その名は尾形光琳。絵筆を握れば天才。だが、その私生活は、はちゃめちゃづくし。稼いだお金は、右から左。金の無心に来るお手つきの女たちは、次から次へとあとを絶たず。果ては女中にまで手を付ける始末。弟の乾山や幼なじみの源丞もあきれて、いさめるすべも無し。そんな光琳を見捨てず、持ち前の度胸の良さと明るさで所帯の切盛りをするのは、妻の多代。「夫婦・・・男と女は戦のようなもの」平静を装い続けるが、そんな我慢にも限界が・・・。銀座方の役人、果ては、落ちこぼれ赤穂浪士をも巻き込んだ光琳と多代のめおと合戦のはじまりはじまり―。

■出江寛:大阪芸術大学講師

女性がいて男性が引き立つ。男性がいて女性が引き立つ。この二元論が日本の美学の原点です。世阿弥が「せぬところが面白き」といっていますが、これは男女の二者を合体させない間合いが大切であるとし、そしてその間合いが、さらに面白くなければならないとしているのです。尾形光琳の国宝「紅白梅図屏風」の紅梅を女性、白梅を男性として眺めてみてください。紅梅がいかにも色っぽい曲線をもって女性的に表現されているのに対し、白梅の枝はガッガッガッと稲妻のように角張っています。また、紅と白の二元対比でもあるのです。絵のバックが金と赤と白ですから、祝い事に使われる屏風という一元的な見方をしがちですが、その一元的な裏側に、もう一つの美学を読みとらなければいけません。両方の尉梅をよく見ると、どちらも老木です。「花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき」という歌がありますが、老木で花は咲くけれども、実ができない悲しみも表現されています。そして二本の梅の間に二月の早春の冷たい水が流れています。この川の流れを見ると、とぐろを巻いていて不気味です。人生の不気味性を語っています。人間の人生は、片時もとどまることなく川のように流れているけれども、何が起こるかわからないという不気味性。そういう人生のはかなさみたいなものを描いているのです。光琳自身、大金持ちから無一文になった人です。この絵の中にはそういう精神的な美学が、つまり喜び事と悲しみ事が二重構造になっているという見方ができます。さらに、この川のうねりから、川は女性を意味していると私は思うのです。『黒の舟唄』にある「男と女の間には深くて暗い川がある」という、そんな意味合いがここに込められているのでしょう。

■高橋史朗:明星大学教授

最近、男女平等とジェンダーフリーを誤解する人が出てきました。この二つは全く違います。政府は今、男女共同参画社会というのは、男らしさ女らしさそのものを否定するものではないと言っていますが、現実にはそれを否定する風潮が表れてきています。例えばコマーシャル、男と女の役割分担が差別につながるという視点でチェックされ次々消えているものがあります。教育の現場でも、授業でチェックするようになっています。男の子のような名前、女の子のような名前も差別につながると主張します。昔話、神話、校歌や校訓にもメスが入っています。男女平等というのは、男である、女であるが故に権利が不当に差別されないという趣旨です。そのことと、陰と陽、男らしさ女らしさは違います。教育界ではよく、男らしさ女らしさよりも自分らしさを、人間らしさという言い方をします。もっともらしく聞こえます。では、自分らしいこと、人間らしいことと、男らしさ女らしさと対立するのでしょうか。しません。この対立的な二分法論理の考え方が間違っているのです。日本の文化というのはバランス感覚だと思っています。学生にはいつも尾形光琳の紅白梅林を見せます。紅白の梅の間に川が流れている。紅白の梅と川が象徴する男と女、指導すると支援する、父性原理、母性原理を見事に調和させている知恵、これがバランスをうまくとる文化感覚です。男らしさ女らしさは大事なものです。

■溝口健二:映画監督

江戸中期の画家、尾形光琳の代表作「紅梅白梅図屏風」、この屏風は男女の睦み合った姿を秘めています。


いろいろ批判的な意見もありますが、私は小林太市郎さんの解釈を支持しています。それが事実であろうがなかろうが、それこそ芸術のなせる技・業だと思うからです。私たちには、遺伝子として「生命」そして「性」に関することがインプットされているのですから・・・


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私が今、「横顔」にこだわっているのも、きっと私の中の何者かがそうさせているのであって・・・意識するしないにかかわらず


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型紙を切って、柿渋を刷毛ですり込みました。


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乾燥中・・・作業場全体がくっさあ~い状態です。