まよなか科(2) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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11PM』(イレブンピーエム)は、日本テレビとよみうりテレビの交互製作で1965年11月8日から1990年3月30日まで24年5ヶ月の長期に渡って放送された日本の深夜番組であり、日本初の深夜のワイドショー番組でもある。正式名称は『WIDE SHOW 11PM』、略称はイレブン。開始当初は、新聞のテレビ欄には『11P・M』と記載されていた。午後のことを「PM」(Post Meridiem)と呼ぶ概念がまだ薄かった時代の話である。


◆すくらんぶるアートヴィレッジ◆(略称:SAV)    若い芸術家たちの作業場・みんなの芸術村-いれぶん1


アメリカの夜の情報番組をヒントに企画された。現在では"お色気番組の元祖"的なイメージが持たれる『11PM』であるが、ごく初期(白黒の時代)は週刊読売編集長であった山崎英祐が司会を務め、時事問題についての考察を述べる硬派番組であった。しかし、視聴率が全く取れなかったことから方針を転換、テコ入れを施した結果視聴率も上昇し、深夜の時間が定着する。毎週月曜・水曜・金曜は日本テレビが、火曜・木曜は読売テレビが制作。日本テレビでは大橋巨泉、愛川欽也、読売テレビは藤本義一が主に司会を担当し、お色気から硬派な社会問題まで幅広く取り上げた。中でも木曜は系列各局を回りながら、その土地の名物や風俗を探訪する企画を、また金曜には週末情報の色合いを強め、釣りや麻雀のコーナーを放送していた。


◆すくらんぶるアートヴィレッジ◆(略称:SAV)    若い芸術家たちの作業場・みんなの芸術村-いれぶん2

1967年大橋巨泉 が胸の大きい朝丘雪路を指して「ボイン 」と呼び、'80年代まで長く使われる流行語 になったという経緯がある。巨乳タレントのはしりといえる。11PMでのキャッチフレーズは「朝弱い朝丘雪路です」と言っていたように、おっとりとした低血圧の天然キャラも売り物であった。父は日本画家の伊東深水 である。シャバダバシャバダバ・・・「11PM」のテーマは三保敬太郎作である。


私がまだ少年だった頃・・・この番組を見ることは、とても勇気のいることであった。今のテレビでは当たり前のようになっていることが・・・


そんな少年時代のむずがゆい?思春期を大切にしたいと思う。


そこで、架空ではあるが出版社名を・・・「PM出版」とした。


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「まよなか科」にふさわしく?久しぶりに新聞紙コラージュしました。電球はもちろん切れてしまったものを使用しています。


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「造器」の柿渋塗り・・・かなり濃くなってきました。


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陶芸作業場の新作たちです。メンバーは、仕事を終えてからSAVで作業をすることが多いわけで・・・そういう意味では「まよなか科」そのものかもしれませんね。