ぶるっ(72) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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水玉・・・カルピス(1)


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1919(大正8)年、カルピス大壜が発売されました。商号は、ラクトー株式会社です。しかも、ヴィーナスが印刷された化粧箱入りとは・・・水玉とヴィーナスは不思議な縁なのかも?


1902年(明治35年)カルピス食品工業の創業者・故三島海雲氏が大陸に渡ったのは、中国がまだ清国と呼ばれていた時代。日本の雑貨を馬車に積み、各地をまわって販売したという。ときには、モンゴル地方にも足を延ばしたようで、そのころ、モンゴルの飲み物「馬乳」の味を知ったという。

1915年(大正15年)日本にもどり、牛乳から醗酵クリームをつくり、「醍醐味」と名づけて発売した。しかし、この商品をつくると、使用した牛乳の9割くらいが、脱脂乳として残る。当時の牛乳は、かなりの高級品。捨てるのはもったいない。しかたなく、この脱脂乳を薄めて家庭で飲むことにした。そんなある日のこと、日にちのたったこの飲み物を彼は飲んでみた。すると、ふだんより、はるかにうまいではないか!この時、彼は、この飲み物が時間をおくと、さらにおいしくなることに気づいたのである。

そして、研究を重ね、1919(大正8)年、カルピスを発売した。「カルピス」の語源は、サンスクリット語の最上の味を意味する「サルピス」と「カルシウム」を組み合わせて名付けられました。名付け親は山田耕筰だという説もあるが、当時としては、超モダンなネーミングで、作曲家の山田耕筰が「音声学上からいっても、いい名前だ」と絶賛したというのが本当のところのようである。

カルピスの有名なキャッチフレーズといえば、「初恋の味」である。これはカルピス発売から1年くらいたった時に、三島が後輩の教師驪城卓爾(こまきたくじ)にカルピスを飲ませてみたところ、「この一杯に初恋の味がある」と感想を述べ、「初恋の味」を宣伝文句に使ってみてはと勧めたところから来ている。始め三島はこのキャッチフレーズを使うことに躊躇していたが、翌年驪城に再び会った時に熱心に「初恋の味」を勧められた。三島は「カルピスは子供にも好かれているのに、初恋とは何かと問われたらどう答えればよいのだ」と話したところ、驪城は「初恋の味とはカルピスの味と答えればよい」と言い、これに同意した三島は「初恋の味」を使うことにした。ちょうどその頃日本は第一次世界大戦による好景気が訪れ、人心は明るく陽気になっていたが、そのような世情に「初恋の味」というキャッチフレーズがぴたりとあてはまり、カルピスは全国に広まっていった。


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1919年(大正8年)7月7日の七夕の日に日本初の乳酸菌飲料である「カルピス」が発売されました。パッケージデザインでおなじみの水玉模様は、天の川の「銀河の群星」をしたものです。最初は青地に白の水玉模様でしたが、後に白地に青の水玉模様に変わりました。1922年(大正11年)、カルピス特用壜が青地に白の水玉模様で発売され、これが今の水玉模様のはじまりとなりました。発売当初から昭和初期にかけて広告デザインを担当したのは杉浦非水(日本画家、デザイナー)、岡本一平(岡本太郎の父、漫画家)、武井武雄(童画家、版画家)、西条八十(詩人)、東郷青児(洋画家)など。彼らの功績によってカルピスは“オシャレでモダンな飲み物”というイメージが定着したのかもしれません。


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1932年(昭和7年)発売の赤紙包「カルピス」は製造コストを抑えて単価を低くした家庭向けの普及品です。従来の「カルピス」と区別するために、赤地に白の水玉模様が採用されました。


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1943年(昭和18年)、軍需用「カルピス」の生産がはじまり、その中のひとつとしてビタミンを添加した「軍用ビタカルピス」がつくられました。はじめて白地にだいだいの水玉模様がデザインされました。


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1953年(昭和28年)、製品のリフレッシュをはかり、戦前からの青地に白の水玉の代わりに、白地に青の水玉のデザインになりました。


なんと・・・私が生まれた年です。