孫に連れられて・・・(3)
博物館や美術館に行った時の楽しみは・・・ミュージアムショップ。孫のお土産はそっちのけで、私の眼は血走っている。ななんと、忘れかけていた「汽車土瓶」の復刻があるではないか、思わずゲット。
持つところの針金をねじってフタを固定するなんて・・・最高。
そして、フタが湯のみになる。全体の八角形も・・・抜群のデザインである。
実際には4色あるそうだが、青色は売ってなかった・・・残念。
昭和30年代の土瓶は、フタ部分の釉薬のかかり具合が異なっている。
・・・汽車土瓶を復刻しました・・・
信楽学園の汽車土瓶は、かってSLが黒い煙を上げ、汽笛の音とともにたくましく走っていた時代に、駅弁と共に駅のホームで売られていました。「べんとう、おちゃ~!」と列車が到着するのを待ちかねて、その短い時間に忙しくも手際よく販売する売り子さんに(この時はおじさんが多かったように記憶しています)旅愁をかき立てられたものです。
信楽学園では、いま時代を超えて、この懐かしい汽車土瓶を復刻しました。当時の面影をそのままに忠実にオリジナルを再現しました。焼き物の伝統を今に受け継ぎ、信楽学園の子どもたちが丹誠込めて作った汽車土瓶をどうぞお使い下さい。
「復刻汽車土瓶」の反響は大きく、新聞各社や、関西テレビ、NHKテレビは、「信楽学園が汽車土瓶を復刻しました」と、この取り組みを大きく評価し、取り上げてくれました。この間、新聞社やテレビ局のカメラが学園に入ってきたことはいうまでもありません。子どもたちにとっては緊張場面もありましたが、取材を受けるということは、作り手の子どもたちにスポットライトが当たることです。最初は少し照れくさそうにしていた子どもたちが、次第にインタビューにも、自信に満ちた表情で対応をするようになっていったことに、驚かされました。まさに光があたると、その光は子どもたちを輝かせ、周囲には明るい話題を提供し、嬉しくさせてくれることを実感いたしました。当然ながら、子どもたちの日々の仕事に、ますますの励みになったことはいうまでもありません。今年度「汽車土瓶」は信楽学園を、大きくPRしてくれました。
11月2日のSL北びわこ号初運行日では、当日の限定「汽車土瓶付きSL弁当」が10分で完売、予約分も売り切れと、大好評でした。井筒屋の宮川会長さんが、当時を懐かしく思い起こされながら、「この汽車土瓶復刻は、まさに売り手よし、買い手よし、世間よしですね」とおっしゃった言葉が印象的でした。
昭和30年代、当時汽車土瓶は、信楽学園の主力製品でした。月産2万~5万個を作っていたと記録に残っています。利用者にとって汽車土瓶は、直接社会とつながる上でも有効な仕事でした。しかし、時代の変化の中で、この汽車土瓶は、次第にポリ容器にとって代わられ、昭和42年にはすっかり姿を消してしまいました。それから40年、いま時代を超えて、「汽車土瓶」はよみがえりました。
「信楽学園汽車土瓶復刻」の反響は大きく、「新聞・テレビを見て・・・注文出来ますか」と、個人はもとより、企業や団体からの問い合わせや注文を多数お受けしています。今後も様々なイベントや、弁当を引き立てる小道具として、活用して頂けると期待しています。
信楽学園では、このことを励みとし、汽車土瓶の製作をやりがいある就労訓練に生かし、取り組みをいっそう充実させていきたいと考えています。そして、子どもたちが居住を共にし、生活・職業訓練に励み、社会自立に向けて頑張っている姿を、多くの人にご紹介したいと思っています。
【滋賀県立信楽学園(創設者:池田太郎)】
〒529_1812 滋賀県甲賀市信楽町神山470
Tel.0748-82-0051 fax.0748-82-0050
e-mail:s-gakuen@galaxy.ocn.ne.jp
http://www17.ocn.ne.jp/~s-gakuen/
「ふれる、しみいる、わびる」の言葉とともに、我々に人が育つ原点である教育方針を示された池田太郎先生の思想は、普遍性を持って今も信楽学園に流れ続けています。時代とともに社会福祉の概念も変わり始めていますが、ここ信楽では障害者が当たり前に町で暮らす姿が早くから定着しています。今でこそ誰もがノーマライゼーションという言葉を知っていますが、そんな言葉が生まれる前から、信楽ではノーマライゼーションが展開されていました。グループホームが国の制度になったのも、信楽で始まった民間下宿がそのモデルになっています。こうした障害者に理解のある人々や町との協働のスタイルが、もっともっと全国各地に広がってほしいと願っています。
「信楽学園」での当時の制作風景です。ぜひ、今回の復刻が全国に広がってくれることを願いつつ・・・孫に連れられて交通科学博物館を後にしました。