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藍の品種(4)


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■武州紺(埼玉県羽生市) 藍染の技術が伝えられたのは、天明年間(1780年代)といわれる。かつて、青縞(武州紺)と呼ばれる綿織物が盛んに生産され、羽生・加須などを中心に北埼玉地方一帯に市場が立ち、活発な取り引きが行われた。青縞は藍染めした木綿糸で織った織物のことで、野良着・足袋などに用いられていた。その後「武州型染」や唐桟織と藍染を組み合わせた「武州唐桟」などの製品も作られるようになった。藍染めは、藍玉を自然発酵させた藍染め液で染めるため、洗えば洗うほど色が冴え、風合いが増してきます。


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■正藍染剣道着の全国の8割が武州紺織

羽生や加須、行田、騎西など北埼玉で藍が栽培されるようになったのは、江戸時代後半の天明期の頃とされています。もともと農家の主婦が農閑期を利用して、家族の衣服をつくったのが始まりといわれ、明治40年代の最盛期には武州(羽生、加須、行田、騎西)の一大産業となりました。藍染めの職人を紺屋(こうや)職人と呼び、当時200件以上の紺屋があったほどです。武州の正藍染めは、藍の葉から自然発酵建てでとった染料により染めるのが特徴です。手染めなので微妙な風合いがあり、さめるほどに美しい色合いになっていきます。手法としては糸の段階で染める糸染めと、布にしてから染める型染めの2方法があります。武州では全体の7割が糸染めで、型染めは民芸調などの柄が出せます。



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■小説『田舎教師』にも出てくる藍染め。正藍染めは武州紺として、剣道着には欠かせない織物です。最近では素朴さが見直され、新しいファションにも取り入れられています。『田舎教師』の書き出し「四里の道は長かった。その間に青縞の市の立つ羽生の町があった」に出てくる青縞とは、経・緯ともに藍で染めた錦糸で織った木綿平織のこと。江戸時代中期、農家の副業として発達し、羽生、加須、忍などの市で売買され、野良着や足袋に使われました。この青縞を染め上げるのが紺屋職人です。技術保持者として認定を受けた中島安夫氏は、開業以来140年という中島紺屋の当主として、伝統技術の保存に努めています。また、中島紺屋では藍染めの体験をすることができます。


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■青縞 青縞とは、木綿の平織物で濃い藍染の経糸と横糸を用いて織り上げられた織物のことをいいます。盲縞や盲紺、紺無地、織紺などの呼び名があり、縞目がわからないほど細かい縞という意味の別名があります。青縞は、藍染めされた糸で織り上げられた無地の木綿地を指して言います。この「青縞」の「縞」は、糸の染め斑(むら)によって自然に発生したもので、意図的につくり出されたものではありません。藍の糸染めは、普通、綛(かせ)状で染められますが、この時、均一な絞りができず、つまり酸化斑が発生し、必ず、染め斑になります。この斑が、織物にすると縞状(縞模様)になるわけです。