きらっ(156) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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灰との出会い(2)

「くぬぎ灰」では満足できず、「樫灰」を探す傍ら、「灰」そのものについて調べていくことにする。

■食事中、夜間は自然と囲炉裏の回りに集まり、会話が生まれる。通常家族の成員の着座場所が決まっており、家族内の序列秩序を再確認する機能も重要であった。囲炉裏の周囲の着座場所の名称は地方によって異なるが、例えば横座、嬶座 (かかざ)、客座、木尻または下座 (げざ)といったものが挙げられる。この機能は縄文時代の竪穴式住居の中央に設けられた炉以来引き継がれてきた日本の民家の基本構造とも言え、現代建築では炬燵にその機能が一部継承されている部分があるが、今日では家族団欒そのものが衰退しつつあるとする見方もある。


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■縄文時代の石囲炉

発掘調査で見つかる縄文時代の住居には石で囲った石囲炉と呼ばれる炉がある。隅には土器が埋め込まれているものもある。土器は火種を入れておいたのではないかと考えられている。土器は炉の隅にあるもの中央にあるものなど置き方にもルールがあるようだ。発掘調査で見つかる石囲の石はススが付着したりして、使用されたことがわかる。しかし灰が残っていることが非常に少ない。ここで注目したいのが、灰がなぜないか・・・使いみちが沢山あった、つまり縄文人になくてはならない必需品だったから残っていないと考えられる。


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■縄文時代は木の実が主食だったといわれている。岩手県・岩泉では大正時代までドングリを主食の一部として暮らしていた人たちがいた。そればかりか平成の現在でもドングリはおやつ代わりに食べられている。その食べ方は特別な道具も入らず、まさに縄文時代でも出来た方法であり、この食べ方こそが縄文時代の人々がドングリを主食としていた方法と考えて間違いないのではなかろうか。


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■沢口スエさん(1900~1990)からの聞き取り

「私は明治33年、岩泉町有芸の皆の川で生まれた。そのころは家でとった物を食べて暮らす時代だったので、子供のころから働かされた。ドングリの食べ方。コナラが食べてはおいしいが粒が細かいのでなかなかたまらない。それで粒の大きいミズナラだけを拾った。豊作の年には10釜13釜も拾った。釜一つに4斗(40升=72リットル)くらいはいる。それを釜でゆでて天井裏に広げて干す。そしてアク抜きして食べる。食べきれないのは「ケガジ蓄え(飢饉への備え)」として保存する。小さい頃は冬には日に3回トチ、シタミ(ドングリ)だった。シタミ(ドングリ)の食べ方はおわんに「きなこ」を入れ、それにシタミ(ドングリ)を盛って、粉にシタミ(ドングリ)をつけて食べる。もう一つのおわんには麦がゆが盛ってあり、シタミ(ドングリ)を食べてはおかゆを飲む。それにおつけと漬け物がつく。トチ、シタミ(ドングリ)は温めては食べない。温めれば灰の臭いがしておいしくない。それで冷たいトチ、シタミ(ドングリ)を食べるときには、必ず熱いおかゆを飲む。山蒔きに行くときの弁当には「シタミつき」と大きな大根漬けを背負っていく。大根漬けにかぶりつきながら「シタミつき」を食べたものだ。「シタミつき」というのは、シタミをカラウスにいれてひいて握った物。アク水(灰水)の作り方。シタミとかトチの灰抜きの時使うアク水というのは、灰をしみ通って出てきた水のこと。昔は「アクダレド」というものでアク水を作った。空洞な木を使って、木の下にきりのような物で穴を開け、それに灰をすくってきて入れる。この灰は楢(ナラ)の木の物でなければだめだと言った。これに水を入れると、赤い色をした液が落ちてくる。それを下に置いてある入れ物に貯める。色がなくなれば「ド」の中の灰を入れ替える。このようにしていつもアク水があるようにした。このアク水で、手ぬぐい、前掛け、着物何でも洗濯をした。それだから年中アク水を作っておいた。」


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■洗剤の起源

その昔狩猟した動物を焚き火で焼いたとき、灰に動物の脂が落ちて泡だった。その脂の混じった灰で洗うと汚れがよく落ちることを体験したことが洗剤の始まりと言われている。(この時の泡は、灰のアルカリ性が動物の脂肪を加水分解し、脂肪酸塩が生成されたことにより起こったものである。)灰と脂の混じったものをわらなどの束につけて、なべ釜や茶碗を洗うのに使っていた。これはまさに現代のクレンザー。このようにして、日本では昭和の40年代まで日常的にかまどや囲炉裏の灰を使っていた。


若い芸術家たちの作業場◆すくらんぶるアート     ヴィレッジ◆支援してくださる方々の芸術村-せっけん1

■石ケンをあらわす[Soap]という言葉は、ローマ時代の聖地「サポーの丘」に由来していて、ここでは、神へのいけにえとして羊を焼いてささげる習慣があった。その滴り落ちた油と灰が雨に流され、混ざり合い、自然の石ケンとなって堆積したものを、汚れがよく落ちる奇跡の土として、珍重したのが始まりだといわれている。


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■弥生時代のムラ跡

住居跡、柱穴、溝、それに大小の穴が多数見つかった。竪穴式住居は、火災にあったらしく、建材が炭になって残っている。穴は意味不明のものが多いが、直径1m内外で夥しい灰・炭・焼土で埋まった灰穴と称したものが注目される。灰穴の土を、水で洗いフルイにかけたところ、あるものは炭になった米と籾殻が集中的に見つかり、脱穀ないしはスクモの利用に関わるものの可能性が考えられる。また、あるものは貝殼や魚の骨が見付かり、食べかすを灰と一緒に捨てた事が分かった。さらに、穴の形や大きさからして、本来は食物の貯蔵用に掘られたものを含む可能性も考えられる。この他、多量の土器を捨てた浅い溝などもあった。

■縄文土器は屋外の平地などで野焼きされたといわれている。しかし、弥生土器には普通なら見られる炭素の付着が、まったくないものが多い。それは、焚き火の灰の中に、土器を埋めて焼いていたと考えられる。たとえ灰の中でも、温度は400℃以上。火の近くだと900℃近くになる。これは縄文土器から推測される焼成温度と、ほぼ一致する。直火じゃないから炭素も付着しない。

■古来より、灰汁は手軽に手に入る有用な機能を持つ物質として、多くの食品加工に使われてきた。天然物からの産物であり、長年使った経験から、その安全性は実証されている。

■山菜のあく抜き

植物の「あく」は水溶性で水にさらすだけでも溶けて出るが、山菜などの場合、煮込みすぎると有用な栄養素が抜けすぎたりする。短時間で茹でて細胞を傷つけ「あく」を抜けやすくし、木灰を溶かした冷水にさらすと良い。これは、有機酸成分がアルカリと結合して抜けるから。ワラビのあく抜きの場合、生のワラビに軽く灰をふりかけ、沸騰したお湯をかけるか、灰汁で煮る。煮立ったらすぐ火を消す。お湯が自然に冷めてゆき、この過程でワラビのあくが抜けて濃い茶色になる。途中で時々ワラビの根をつまんでやわらかさを確かめ、ワラビがやわらかくなっていたら時間にこだわらずすぐにワラビを引きあげる。ヨモギのあく抜きは、ヨモギに軽く灰をふりかけて、沸騰したお湯をかける。あまり時間をおかず引き上げて冷水で洗う。現在では、灰汁の代わりに重曹(タンサン)を使用するのが一般的になっている。