きらっ(103) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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SAVナリエその後(5)


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負の世界遺産「原爆ドーム」の造形性は、どのような芸術彫刻でもその比ではない。ドーム横を流れる元安川からは、今も被爆瓦が採取される。


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瓦は「河原」でもあり、そこに生死の境界がある。屋根の瓦は、天空と地上の境でもある。その屋根の下敷きとなり、生死をわけた人々も多かった。


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阪神淡路大震災があって以降5年間、私はあえて神戸に行くことはなかった。


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そんな気持ちを紛らわせるように、かろうじて淡路島・北淡町を訪れた。


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食器が崩れ落ち、その破片は飛び散り瓦礫となる。


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メリケン波止場、その美しくロマンあふれる町にあこがれた青春・・・


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もう二度ともどないからこそ大切にしまっておきたかったのに・・・この姿はどうしたことだ。震災から5年後、ある機会と巡り合い、被災された方々と神戸を歩いた。震災で息子さんをなくされたという・・・町のあちらこちらに残るモニュメントを訪ねながら話に耳傾ける。何がつらいかと問えば、ただ、「忘れられること」・・・だと言う。


だから

わたしは

わすれない。


そして、


つたえる

ことを

こころに

ちかう。


まもなく・・・2009。