どきっ(440) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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戸部蛙をゲットしました。


とべ1


■戸部城主・戸部新左衛門には「目の前に飛び出した一匹の蛙の素早い動きに、刀を抜くこともかなわなかった」との逸話がある。「無事カエル」と縁起もよいことから、今でも蛙の置物が笠寺観音の節分で売られている。


とべ2


■この戸部新左衛門、かなりの乱暴物でした。自分の前を横切る者は全て切り捨てたと言われています。ある日、新左衛門の前を蛙が横切りました。しかしさすがの新左衛門も飛び跳ねる蛙のスピードにはついていけず、蛙は切られずに逃げ切ることができました。東海道は呼続で訪れた山崎城を越えるとこの戸部城下に差し掛かります。この新左衛門と蛙のエピソードは「山崎越えたらとべとべ」と、戸部という地名と、蛙が跳んで助かったのを洒落にして童謡として歌われるようになりました。そして江戸時代の後期、瓦職人が遊び心で瓦粘土を使って蛙の置物「戸部蛙」を焼き、旧東海道で旅人相手にお土産として売るようになり人気となりました。呼続の湯浴地蔵にいた、背中に子どもを背負っている蛙の石像もこの話に由来しているのでしょう。なぜお土産として人気が出たのか、それはこの蛙を持っていると「無事帰る」と、旅の安全という縁起を担いだからです。笠寺は昔から商売上手な街のようです。だから商店街が今でも賑わっているんですね。商売上手というか、根っからのダジャレ好きなのかも。


とべ3

■名古屋市南区 笠寺観音の参道で売られていた縁起物。作者は戸部の蛙やわら馬を作られている青山かいさん。娘さんの角谷静枝さんが現在も名古屋でも数少ない郷土玩具の製作者として頑張ってみえます。戸部の蛙は全国でも珍しい陶器の郷土玩具で、長崎の舌だし猿と2種しかないそうです。400年以上前の話し 笠寺観音に程近い戸部の郷に新佐衛門という武士がいて、近在の村人に非道なふるまい多く、行列の前を横切ったと言っては無礼討ちにするなど目に余り、手をこまねいた村人達が一計を案じて新佐衛門の行列の前に蛙を投げ、飛び跳ねる蛙にきりきり舞いするのを見て、「山崎超えたら飛べ(戸部)飛べかえる」と囃し立て、暴慢な武士階級への鬱憤を晴らしたといわれる。この話を元に 瓦職人が手ひねりで戸部の蛙を作った。現在は、蛙の胴の部分は型で目玉と手足を貼り付ける方法に代わっている。

名古屋市南区呼続(よびつぎ)町の青山かいさんがつっくていますが、高齢のため、娘さんの角谷静枝さんが引き継いでいます。


とべ4

この画像は、現在売られている新しい戸部蛙です。今回ゲットしたのは、まさしく先代の青山かいさんの蛙なので、値打ちが出るかも?

■この蛙は、全長が2~4センチ位で、雨蛙から殿様蛙まで大小があります。呼続(よびつぎ)町の場所は、昔は愛知郡戸部村であったので、旧地の名称のまま「戸部の蛙」で親しまれています。


とべ5

娘さんの角谷静枝さんの作品「瓢箪駒」です。