蛙プラモ
田宮模型
タミヤの特徴は、「とにかく精密」この一言に尽きます。バギーブームも、F1ブームも、ツーリングカーブームも、田宮模型の存在無くしては語れません。まず我々初心者を魅了したのは速さでもなければ操縦性でもない、素晴らしいデザインと出来のタミヤ製マシン達だったのではないでしょうか。特に、RCのボディは「ポリカーボネイト」という耐衝撃性の透明樹脂一体成形が一般的で、立体成型は想像以上に難しいと聞きます。なのに、タミヤのボディは、そこに実車さながらの精密さと美しさを織り込んでいる。世界屈指のプラモデルメーカーだけのことはあります(車によっては、実車を購入してまで寸法取りするそうです)。タミヤはそれまで、お得意のスケール感の高さを大事にしたモデルを作ってきました。しかし、徐々にRCの「動く物」としての、競争意識がユーザーに生まれてきたのも事実。となると、より速いモデルを作る必要がある。こうして生まれたのが、ファイティングバギー。そして・・・レーシングバギー。
マイティフロッグ
マイティフロッグは、1983年12月から田宮模型(現・タミヤ)が販売していた1/10スケールの電動ラジコンバギー。発売当時のキット価格は14、800円。海外名はThe FROGである。レーシングバギーとは、流麗なボディではありましたが、非常にユニークなレイアウトを持ち、「マイティフロッグ」と名付けられていました(パッケージではザ・フロッグ)。ファイティングバギーと違い、まず14800円と破格でありながら、リヤオイルダンパーやピンスパイクタイヤ、そして軽量化&低重心に効果的な「ポリカーボネイト製ボディ」を採用するなど、レーシングモデルとしての装備が充実していました。また、それまでのタミヤのニッカドバッテリーは7.2Vの「ラクダバッテリー」で、強固なプラケースが重量増加につながっていました。それを、この時期からヒシチューブのみでパックした「レーシングバッテリー」を発売するようになったのですが、マイティフロッグはきちんとレーシングパック対応だったことも付け加えておきます。また、設計主任の「滝博士」が「階段から落としてテストしました」とアピールしすぎたせい?か、耐クラッシュ性とダブルスチールアンテナによる「転びにくさ」ばかりが目立った節もありましたが、実際は結構デリケートな車でした。ちょっとクラッシュすると小型のフロントサス周りが痛み、激しくクラッシュするとシャーシそのものが割れてしまったり、ダストブーツ付きとはいえドライブシャフトの脱落も見受けられました。
ハセガワ(Hasegawa)
飛行機・車・艦船・鉄道模型・キャラクター模型を販売する日本の模型製造会社である。1965年に、スロットカーブームが到来してハセガワも他社の動向・爆発的人気の流れに乗りスロットカー分野に参入したが、加熱しすぎた反動で急速にブームが終焉となった。これ以後安易にブームに乗らず、長く売れる商品作りを目指して安定した人気のある飛行機モデルに着目し1966年に1/72F4ファントム2が発売・120万個、3億円を売り上げる大ヒットとなったことが「飛行機のハセガワ」の方向性が決まるきっかけとなり、「定番商品」として飛行機プラモデルを主にした開発を続けることになる。
1970年、イギリスのプラモデル老舗企業フロッグ社(1935年‐1973年)との相互提携によるフロッグ商品を、自社ブランドで国内販売商品化を開始(1970年‐1973年)、ハセガワ飛行機プラモデルを欧州でフロッグブランドでの流通に乗った販売などで海外での「ハセガワ」知名度アップに繋がった。幅広い飛行機模型・商品化シリーズを多く抱えたメーカー同士のメリットある提携で、ハセガワにとっては飛行機模型シリーズの充実「飛行機のハセガワ」ブランドイメージを上げる役割も果たした。1970年代前半 フロッグとハセガワは提携しお互いのモデルを自社ブランドで発売する。ボックスアートはそれぞれオリジナルの箱絵に変更されハセガワのロゴマークの脇にFROGの文字が配された。しかしこの提携は長くは続かない結果となる。70年代に入ると日本などの新興勢力に押されその業績は悪化の一途をたどった。
1977年、世界ではじめてプラスチックモデルを世に送り出したメーカーFROG社はその活動を永遠に停止することになる。
SU-25 フロッグフット
Su-25グラーチュ(Су-25 スー・ドヴァーッツァチ・ピャーチ(NATOコードネーム:フロッグフット))とはスホーイ設計局が開発し、旧東側諸国を中心に使用されていた攻撃機である。ソ連での愛称は、グラーチュ(ミヤマガラス)。アメリカのA-10攻撃機のような存在の攻撃機の必要性を感じたソ連が、スホーイ設計局とヤコヴレフ設計局、イリユーシン設計局(Il-102を開発)に対して開発競争を行わせ、スホーイ設計局が開発した機体を採用した。固定兵装はAO-17A 30mm2砲身機関砲1門、装弾数は250発。最大4400kgまで爆弾などを搭載できる。搭載エンジンは推力44.18kNのソユース/トゥマーンスキイR-195 ターボジェットエンジン。また、操縦席をチタン合金で補強し、徹底的な防御手段をこうじている。アフガニスタン侵攻の初期にはアメリカがムジャヒディーンに提供したスティンガーミサイルによる撃墜が相次いだため、両エンジンの間にチタン板を入れて片方のエンジンが被弾してももう片方のエンジンが影響を受けないように改修した結果、重装甲による高い生存性を証明した。改修後の機体はスティンガーミサイルによる撃墜はないとも言われている。ソ連時代Su-25は主にトビリシで製造されていたが、グルジア共和国の独立後もグルジアの首都となったトビリシで製造が続けられている。グルジアとロシアはアプハーズィヤなどを巡って対立状態にあるが、グルジアはSu-25をロシアに輸出し、ロシアはそれをグルジア等カフカースやザカフカース方面に配備するという皮肉な現状がある。特に、グルジア共和国独立時の紛争では同じ「赤い星」をつけたロシア、グルジア、アプハーズィヤ各軍のSu-25が互いの陣営や町を攻撃しあうという状況が生じたといわれ、誤認射撃による撃墜も何件か起きている。Su-25は現在ロシアでは主力攻撃機として用いられており、その他ウクライナやベラルーシなど旧ソ連諸国の他、アフリカや中東の数カ国で使用されている。ヨーロッパでは、ブルガリアとマケドニアでは2005年現在主力機のひとつとして運用が継続されているが、一方チェコとスロヴァキアではすでに退役している。実戦活動としては、ソ連のアフガニスタンへの侵攻やアプハーズィヤの紛争の他、中央アジア各地での内戦、アルメニアなどザカフカース方面での紛争などで使用されている。また、コート・ディヴォワールでは保有する2機のSu-25UBが同国に駐留するフランス軍の基地を攻撃したとしてフランス軍によって少なくとも1機が破壊された。なお、コート・ディヴォワールは単座型のSu-25も保有している。