ぎょ(650) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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鵜飼(2)


鵜飼1


長良川の鵜飼は岐阜の夏の風物詩として受け継がれ、1300年以上の歴史があります。伝統装束に身を包んだ鵜匠が「ほうほう」と声をかけながら鵜を自在にあやつって鮎を狩る様は、見る人を幽玄の世界へ誘い、燃え盛る篝火に古典絵巻を感じます。


鵜飼2


鵜飼は、鵜匠が海鵜を飼いならして鮎などの魚を捕る伝統的な漁法で、岐阜県の中央部を南流する長良川の鵜飼は、およそ1300年の歴史があります。鵜匠は、正式には宮内庁式部職鵜匠といい、岐阜市には6人の鵜匠がおり、世襲で受け継がれています。また、長良川の鵜飼用具一式122点は国の重要有形民俗文化財に、長良川鵜飼漁法は岐阜市重要無形民俗文化財に指定されています。


鵜飼3


鵜飼の鵜はウミウと呼ばれる種類。唯一の捕獲場所である茨城県の海岸で捕らえられた野生のウミウを鵜匠が飼い慣らす。昭和初期までは伊勢湾のウミウを使っていたそうです。

鵜飼4


鵜匠と鵜の付合いは十年以上にも及びオフシーズンにも愛情細やかな飼育は欠かせません。その昔は鵜を舟で連れ出して川に放し、魚を食べさせる川餌飼(かわえがい)を1か月も続けたそうです。狭い川舟で寝食を共にするのですから、鵜が死ねば深い悲しみにうたれたことでしょう。


鵜飼5


鵜飼は『日本書紀』神武天皇紀にその話が出てくるくらい、古くから日本各地で行なわれていた南方的漁業法の一つです。人工保育ができよい海鵜を使うので、鵜飼は海鵜の分布圏にだけ広まりました。のに都の遊びになり、京都の大堰川(いまの桂川)などでよく催されました。『枕草子』にも鵜飼を見た話があります。京都文化に憧れていた織田信長が、たまたま長良川で行われていた鵜飼を保護したことが、その後これを岐阜県の名物にしたのです。いまも鵜匠は腰蓑をつけますが、これは大昔、鵜飼が南方系の習俗であったことの証明です。


鵜飼6

「鵜飼」の切手もありますよ。


鵜飼7