お魚遍路(6)
失礼しました・・・河内長野から紀見峠への「高野街道」のところで、「国道310号線に沿って・・・」と書いてしまいましたが、正しくは「国道371号線」です。
■紀見峠は国道371号の大阪府と和歌山県の県境に位置し、紀伊見峠とも呼ばれる。紀見峠越えの道は、南河内から紀ノ川流域へ通じる唯一の幹線道路であり、平安時代初期に南海道の官道として整備された。後に、高野山参詣が盛んとなってからは高野街道と呼ばれるようになったという。かつては、旅人たちがこの峠で一服し、峠の茶屋として、後には宿場町として発展し、現在でもその宿場跡が残っている。また、九度山 (和歌山県九度山町) に幽閉されていた智将真田幸村が慶長19年10月9日、決死の脱出を決行し、家族・手勢を引き連れ、夜の紀見峠を越えて大坂城に向かったという。峠越えの道は昭和37年 (1962) に国道170号として指定され、昭和56年 (1971) に国道371号に指定された。このためか、今でも峠道には国道170号であることを示す標識が残っている。
■紀の川の名産「柿の葉すし」
郷土料理として親しまれてきた柿の葉すしは、酢でしめた鯖などの押し寿司をひとつひとつ柿の葉で包んだもので、保存食として重宝されてきました。先人たちの知恵から生まれ、現在に伝わる郷土の味。柿の葉すしならではの柿の葉の移り香、深い味わいもまた格別なものです。 "柿のすし"は押し寿司の一種で、江戸時代に生まれました。現在では和歌山県橋本市周辺や奈良県の名産品として全国的に有名です。
保存用に塩でしめた鯖の切り身をご飯に添え、紀の川周辺の特産である柿の葉で包んで一晩置いたところから、柿の葉すしは生まれたとされています。江戸時代中期には橋本周辺地域の家々で、夏祭り用のご馳走として振る舞われるようになりました。柿の葉すしはもともと、鯖ずしから生まれました。鯖ずしは日本海の鯖を若狭湾から京都へ運ぶ際に考案された保存食で、そのルートは現在も「鯖街道」と呼ばれ親しまれています。鯖ずしから生まれた柿の葉すしは、はじめはもちろん鯖だけしか使われていませんでした。しかし、美味しければいろいろと試したくなるもの。次第に鮭などもネタとして使われるようになり、柿の葉すしが一般的となった現在では、鯖・鮭以外にもいろいろな具材が使われるようになっています。
古くから愛され続ける柿の葉すしですが、その秘密はネタ、シャリがおいしいのはもちろんですが、そこに深い味わいを添えるのが柿の葉の香り。海の幸、山の幸を絶妙に融合させたこの風味こそが、柿の葉すしが今も深く親しまれている理由なのです。和歌山・奈良を横断し紀伊水道に注ぐ大河、紀の川。柿の葉すしはこの紀の川の上流を産地として江戸時代に生まれたと言われています。現在では和歌山県橋本市周辺や奈良県の名産品として全国的に有名になった柿の葉すし。しかしなぜ、海から遠く離れた橋本の地で、海産物の名産品が生まれたのでしょうか?その秘密はやはり"紀の川"にありました。柿の葉すしが生まれた江戸時代には、もちろんエンジン付きの車や船はありませんでした。海から橋本周辺に運ばれてくる物資は、陸路あるいは水路(紀の川)を、人の手を使って運び込まれていました。それが数日かかる大仕事であったことは、想像に難くありません。またその長い道中、魚などの生ものを運ぼうとしても、普通なら簡単に腐ってしまいます。では腐らせない方法はないだろうか?そこで先人たちが考えだしたのが、「浜塩」と呼ばれる保存法でした。これは大量の塩を魚の腹に詰めこみ、魚が傷むのを遅らせる方法です。そうやって塩漬けにした魚に、米を合わせる。そして最後に、柿の葉でくるむ。
紀の川沿いの地は、古くから豊潤な水源を活かした柿の産地として知られていました。柿の葉すしの完成です。塩でしめた鯖に酢飯をあわせ、柿の葉で包む。そうやって生まれたのが「柿の葉すし」だったのです。江戸時代、紀州藩主が名づけた「川上船(川上は、紀の川の上流という意味)」で紀の川上流の橋本に様々な物資が運ばれていました。「橋本」の名は、天正元年(1573年)に高野山で出家した応其(おうご)上人が、紀の川に初めて木橋を架けたことから興ったと伝えられています。応其上人は、市脇村、相賀(おうが)大神社の塩市を橋本に移し、豊臣秀吉に専売権を認めさせ、商業発展の基礎をつくりました。これは江戸時代の紀州藩制下でも認められることとなります。橋本は塩市を有して周辺への販売権を持ち、高野山や五條へ塩、米、みかん、鯖などを売っていました。そんな中、紀の川上流に運ばれた熊野灘の鯖と、橋本を中心とする周辺一帯の柿の葉を利用して、柿の葉すしは誕生したのです。柿の葉すしのはじまりは、酢を使わない"なれ寿司"でした。なれ寿司は、炊いた米の中に魚を入れて発酵させたものです。江戸時代になって食酢の流通が盛んになり、現在の柿の葉すしの原型が生まれたと言われています。柿の葉すしは、海の幸と山の幸とを絶妙に融合させた郷土の産物です。先人の奇跡的な発見と知恵のおかげで、柿の葉すしは生まれました。海から運ばれる長い道中、腐らないように鯖を塩でしめ、それを米とあわせる。米は押し寿司にして発酵させると長期の保存ができます。さらにそれを、抗菌作用や防腐作用などさまざまな効能のある柿の葉で包む。こうやって保存性と味わいを兼備した柿の葉すしは誕生したのです。柿の葉が使用された背景には、橋本周辺が全国でも有数の柿の産地であったことが挙げられます。柿の葉すしはまさに、自然の恵みと人間の英知の融合だと言えるでしょう。