ブリキの魚(4)
この新聞記事・・・地震の被害からたくましく立ち上がっていく女性の姿にジーンときました。
「能登元気」・・・大好きな地域だけに嬉しくもあり、本当に心から応援したいです。
■その昔、漁港に揚がった魚介類を50~60cm角のブリキの函(缶)にいれて肩から担ぎ、沿線や山間部で魚を売り歩く「カンカン部隊」という女性たちの集団がいました。
交通や輸送手段が十分ではなかった貧しい時代、漁村の女性たちが「かんかん」を担いで村々に新鮮な魚を届けました。貧しさと貧しさが紡ぎあう、豊かな時代であったような気もします。
「リヤカー」や「乳母車?」も活躍しました。
私たちが子どもの頃、ブリキの空き缶はもとより、洗面器も・・・すべて「かんかん」と呼びました。
■岸和田のだんじり祭りを見物する有名な名所といえば「かんかん場」と「こなから坂」です。一度は聞いたことがあると思います。
「かんかん場」の「かんかん」ですが、重さを量る計量器のことを「かんかん」といい、重さを量ることを「かんかんする」といいます。岸和田の海沿いの町は昔から漁業の町として発展してきました。そのため地元の漁師の人たちが水揚げした魚の重さを量る場所を設けました。
その場所を「かんかん場」といい、その跡地が現在のかんかん場です。「こなから坂」の「こなから」の意味は「四分の一」のことです。昔は一升の四分の一にあたる二合半なども、「こなから」といっていたそうです。というわけで「こなから坂」とは四分の一勾配の坂を意味します。お城の天守閣の地盤は周りより高いので現在でも急勾配の坂がいくつも残っています。これらの坂は全てこなから坂です。祭りで有名な「こなから坂」の現状の勾配はかなり緩められています。
「能登元気」・・・岸和田も元気。魚の町にはたくましさとしたたかさがある。










