ぎょ(518) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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金魚花火(2)


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■愛知県・岡崎「菅生まつり・観光夏祭り花火大会」

文化文政の昔から情緒豊かな鉾船を浮かべた花火まつりとして広く知られた菅生まつりが、岡崎観光夏まつりとあいまって盛大に行われます。乱玉、大のし、各種スターマイン、地割等三河花火の粋を集めた花火が夏の夜空を鮮やかに彩るとともに、川には全国的にも珍しい金魚花火が打ち込まれ、河川では日本一規模といわれる仕掛花火も行なわれるなど、息をつく間もなく繰り広げられる風景は夏の暑さを忘れるほどです。


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菅生天王宮は徳川家康に深く信仰され、永禄九年(1566)社殿を再建する。以来、歴代の岡崎城主である本多伊勢守家(前本多)、水野家、松平家本多中務大輪家(後本多)から崇敬され、社殿の改修などがなされてきた。明治元年(1868)菅生神社と称される。例祭の七月十九日の夜、菅生川に数千の紅提灯を点じた三層の鉾舟(ほこぶね)を数隻浮かペ、舟中から手筒花火を打ち上げ、また水中には「金魚花火」を放った。菅生祭の花火の特色は、水の上の花火が遊泳する「金魚花火」である。この金魚花火は、乾燥した葦の茎を、一方節を残して十五センチくらいで切り、この筒に火薬を詰めるのだが、水上で浮くように、節の方に麦わらを二、三センチに切って入れ、綿くずを少し詰めて火薬を入れる。この花火の管(筒)を十本くらい束ねて紙で巻く。これに火をつけて水に放つ。火薬の噴出力で水上を泳ぐ。そして、紙は切れて四方に金魚は泳いで行くのである。花火師の加藤博之さん(加藤煙火)は、「今では紙管に発泡スチロールを入れて浮きにしている」と話される。そして、「当時は黒色火薬だったから、火の粉の色、木炭の粉の燃え色だが、今の金魚花火は色火薬を配合し、いろいろな色の金魚が出せますよ」と、にっこりされる。文化・文政の頃には打ち上げ、仕掛け、手筒、金魚などの花火がつくられ、菅生川原で、しばしば自慢の花火が打ち上げられている。金魚花火は点火後水中に投げ入れると、水面でいくつかに分かれ、水面に浮かび、火花を発しながら暫くの間あたかも魚が泳ぐように進むものだ。発する色は白、紅、緑、青などがある。最後にポンッと小さく弾けて沈む。


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