青い金魚(3)
錦鯉「秋翠」・・・背中の青がとても印象的です。
錦鯉「五色」・・・まさしく錦の鯉です。
いずれ、鯉のぼりのような「真っ青」な鯉が作出されるかもしれませんね。
■川村たかし(1931年11月8日~ )
奈良県五條市出身の児童文学作家。奈良学芸大学(現・奈良教育大学)卒業後、花岡大学に師事。「近畿文化」に寄稿したの機に創作活動に専念。『山にいく牛』で国際アンデルセン優良作品賞受賞し、『新十津川物語』(全10巻)で路傍の石文学賞受賞し、その後NHKによりテレビドラマ化(主演・斉藤由貴)された。
創作長編・短編・ノンフィクション・評論など著書多数。五條市の小・中学校・高校教諭、奈良教育大学・梅花女子大学教授を長く務めた。日本児童文芸家協会会長・日本文芸家協会会員・日本ペンクラブ会員。
■「青い金魚」著:川村たかし
1971年旺文社より出版。太平洋戦争中、金魚を商売にしていた家族が出征する父、留守をけなげに待つ家族を描き戦争の悲惨さとその中でたくましく生きる人間の姿を映し出した作品。
・・・残念ながら画像がありませんので・・・
■「絵舟 狩野探幽の暗号」著:川村たかし
旅絵師・東兵衛は、密かな使命を帯びて紀州・太地村を訪れた。活気に満ちた鯨村の、たくましい庶民の暮らしのなかで、闇の仕事を背負って生きる若き絵師の心は揺れる。海に舞う、喜びと悲しみ。鯨の村に隠された真実。歴史の闇に浮かびあがる人間ドラマ。
表紙に描かれた鯨捕りの絵は、華やかに彩色された舟が印象的。大きな鯨に群がる小さな人間の非力さが際だつようです。主人公の旅絵師の東兵衛は、太地へ招かれ鯨捕りの舟の腹に絵を描くことを頼まれます。太地の網元は新漁法のおかげで、鯨長者と言われるようになり、勢いを見せつけるために絵舟にするのを思いついたわけです。東兵衛は、腕が鳴りわくわくしてきます。東兵衛の仕事ぶりと並行して、勇壮な鯨捕りの様子も詳しく描かれています。鯨捕りはいつも命がけの仕事でした。東兵衛と親しくなった政次の父親も、鯨に絡んだ網とともに海中へ引き込まれて命を落としています。鯨にモリを打ち込む瞬間が、まるで見てきたように書かれていて、漁船にいっしょに乗り合わせているような気になります。東兵衛の過去が明らかになっていきます。東兵衛は狩野派に父親ともども弟子入りし、江戸で振り袖火事に遭遇していました。火事で灰になった貴重なお手本を探してもう一度模写するために、東兵衛は全国をまわっているのです。しかし、それなら田舎の太地くんだりまで来ないはず。絵舟を描くという目的の他にも、東兵衛には秘密の任務がありました。時は江戸時代、キリシタン禁制の世の中です。しかし一度広まったキリストの教えは勇魚捕りの村にも、絵師の中にも、静かに入り込んでいます。キリシタンであることがばれたら・・・、それは確実に死罪を意味するのです。東兵衛のもう1つの任務は、隠れキリシタンを見つけだすことでした。勇魚の村にキリシタンは潜んでいるのでしょうか?意外な人物が意外なところに隠れ、東兵衛の秘密の姿も現れます。
■狩野探幽 1602~1672 (慶長7年~寛文12年) 壮麗な狩野絵画を優美に洗練。江戸狩野派の様式を確立した。京都出身。江戸に下り1617年幕府の御用絵師となる。水墨画や大和絵などの手法を取り入れながら、桃山時代からの狩野派の大画様式を、優美で瀟洒な様式へと変えた。二条城・名古屋城・大徳寺などの障壁画を手がけ、その形式は江戸狩野様式として、江戸時代を通して継承された。







