ぎょ貝類(25)
■「ダ・ヴィンチの二枚貝」進化論と人文科学のはざまで
スティーヴン・ジェイ・グールド(著)
時代を超越した知の巨人ダ・ヴィンチが、山の頂にある貝の化石について現代に通じる解釈を行なえたのはなぜか?進化論と人文科学がクロスする領域を縦横に取材し、時代精神の影響に注目しながら、名人芸の話術でさまざまな切り口から紹介する科学エッセイ。現代から見たら珍妙そのものの論を唱えた科学者たちに対し、グールドの視線は優しい――彼らの生きた時代思潮のなかでその理論を吟味することが興味深いからだ。名手によるアクロバティックな科学エッセイ21篇を収録。
■化石論争
こうしたこと自体、当時はたたかいでした。当時は教会の学説や『聖書』だけを正しいと考える風潮が盛んだったからです。ダ・ヴィンチは、ロンバルジア地方の高地のふもとで、多数の二枚貝をふくむ地層をみつけましたが、かれは自分のノートに「なぜこんなところに貝があるのか」をめぐって論争がおこなわれたことを記しています。当時の有力な説は「ノアの大洪水が貝をここに取り残した」というのでしたが、かれはこれがいかに不合理であるかを極力説明しました。たとえば、「この貝はノアの洪水のおり海の水かさが増すにつれて山の上にはこばれたのだ」といういい分にたいして、「アドリア海からここまで一五〇キロもあるのに、かたつむりよりのろい二枚貝が、ノアの洪水のあった四〇日間に、どうしてここまで歩いてこられようか」といって計算までして、その不可能なことを説明しています。また、「波にのればこられるかもしれない」という説にたいしても、かれは「生きている貝は、海底の砂のなかにいるからそういうことはない」と、地層にふくまれたとじた二枚貝をみせています。とじた二枚貝はそれが生きたままうまったことを示すからです。こうしてかれは、『聖書』よりもみずからの観察をだいじにし、このあたりは昔、川の近くに海があって、川の流しこむ堆積に貝がふくまれたにちがいないと、その二枚貝が「化石」であることを結論づけたのでした。
ダ・ヴィンチの有名な「ヘリコプター」です。
「時計」のアイデアも考えていました。
「螺旋」や「ネジ」の持つ不思議なエネルギーにも着目していたようです。
そのヒントは自然界への鋭い観察から生まれたと考えられます。植物や波、そして当然のこととして巻貝にも彼の興味・関心は寄せられていたに違いありません。
フランス、ロワール地方のシャンボール城内部にある、レオナルド・ダ・ヴィンチの設計と言われている「二重螺旋階段」がよく知られています。