ぎょ貝類(7)
■ギリシア神話に登場する女神の代表格となれば、これはもう有名な「ヴィーナス」を措いて他にないだろう。「ニンフ」と呼ばれる女精もいるが、これは昆虫学の用語のサナギを意味しているように、いまだ成熟し切っていない美少女などを指すのが一般的である。また「ミューズ」というのは詩人の霊感の源になったりするくらいだから相当の美女に違いないだろうが、文学的・精神的すぎて肉体美を欠いている。「デメテル」は農耕の女神として母性的すぎるし、月の女神「アルテミス」も牧歌的な自然神としてしか描かれていない。輝きの「アグライア」、喜びの「エウフロシュネ」、陽気の「タレイア」などの三美神の「ハリテスたち」に至っては、偉大なる女神の取り巻きに過ぎない。そんなふうに消去していくと、美神でもあり、愛の神でもあり、つまり精神と肉体の双方において成熟した、それゆえ多くの神々と浮名を流した「ヴィーナス」ほど女神の名に値する女神はいないようである。アポロドロスの「ギリシア神話」によれば、「アフロディテ」すなわち「ヴィーナス」は、ネーレウスの娘ディオーネとゼウスの間から生まれたことになっている。しかしアポロドロスの記述は神々の系譜を骨子としており、正統ではあるが面白味に欠ける。やはりここはヘレニズムふうに、系譜学に基づきながらも、ローマの神話伝説、とくにオヴィディウスの「メタモルフォセス」を経て欧州近代文学に入ったギリシア神話をからめて語ったほうが遥かにドラマチックだし面白味が増すだろう。
■19世紀フランス・アカデミーで最も成功した画家のひとりアレクサンドル・カバネルの代表作『ヴィーナスの誕生』。画家らしい非常に甘美的で理想美的な官能性を示し、かつロココ美術的表現への回帰をも感じさせる本作は、ルネサンス期・フィレンツェ派の巨匠ボッティチェリも描いた≪ヴィーナスの誕生≫を主題にカバネルが制作し1863年のサロンに出典された作品で、その美しさから皇帝ナポレオン3世が購入した同時代を代表するアカデミックな絵画である。本作が現在においても注目を集めるのは、皮肉にも本作が出典された1863年のサロンに落選した、その後、隆盛を極める印象派の先駆的画家エドゥアール・マネの問題作『草上の昼食』や、次のサロン(1865年)で同画家が発表した『オランピア』としばしば比較される為である。本作は典型的なアカデミズム絵画であり、印象派の思想や表現とは対極に位置付けられ、マネの友人で印象派絵画の良き理解者あった当時の文学者ゾラは、本作を辛辣に批評している。なおメトロポリタン美術館に本作のレプリカが所蔵されている。
■帆立貝はアイヌ語で「サラカピー」と呼び、奥尻島で沢山獲れる時はニセコに近い寿都(すっつ)では不漁になると云う伝説がある。ホタテは海水をジェット式で噴出し、その反動で1~2m泳ぐので、きっと奥尻島と寿都を行ったり来たりしているのであろう。日本人の胃袋に最も多く入る貝で、その量は45~50万トン。でちなみに2番手はカキの25~30万トン、3番手はアサリの約12万トンである。旬は10月頃と云われるが、オホーツク海の天然物は6月から操業が開始される。冷凍物でも生鮮物に劣らず、味は落ちない。海の貴婦人といわれるだけあって気品があり、清楚で奥深い味がする貝。古書によると「車渠(しゃきょう)」や「海扇(かいせん)」の字が当てられた。「車渠」は貝殻の外側にある縦の溝模様が車輪の溝、つまり渠に似ていることから、また「海扇」は形が扇に似ていることからこの字を当てた。現在でも白干などの干貝柱業界団体にこの名称が残っているし、中国では「海扇」の字が使われている。「帆立貝」は、この貝が移動する時、海底を舟の帆を立てたように殻を立てて移動する姿から。また、貝を焼いた時に貝殻が殻から離れて蝶番の靭帯の力で開口するが、その姿が帆掛け舟に似ていることから命名したのであろう。『和漢三才図会』には、「殻の一つは舟、もう一つ殻は帆のようで、風に乗って走る。それで帆立蛤といふ」とある。『本朝食鑑』には、ホタテガイの膨らみのある方である右殻を竹に挟んでヒシャク代わりに利用した。そこで「帆立蛤の殻はもろもろの毒を解する。それで大柄杓(おおひしゃく)を作り、これで諸汁、熱つものを酌み、鳥や魚、野菜の毒を解するのである。誰が始めたのかその博識の仁術は立派なものである」とある。確かに貝殻には銀が含まれており、銀イオンは殺菌作用があるので、先人達のすばらしい活用方法である。
■「貝」という字はあくまでも貝殻を意味し、漢字では、賢(良質で堅い貝の事)、貧(財貨を分けてしまう事)、貨(交換で物に化ける財貨)、貸(財貨の代わりに貸す事)、賀(財貨を加えて増す事)のように使われる。一方、貝殻の中に入っている身肉に意味がある場合の漢字は、蛤(はまぐり)、蚫(あわび)、蛎(かき)、蜆(しじみ)など、全て生き物を表す虫の字がつく。「介」は二枚貝の形から生まれ、賢いという意味を表す漢字であるが、現在では意味が広がり、甲羅をもつエビカニ類も含む言葉でもある。