食卓の魚(7)
上画像が洗浄・修復後に明瞭となった、ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」における食卓の魚です。しかし、私はもっとはっきりとした魚の形を期待していました。そこで、これまで多くの画家たちが描いた「最後の晩餐」における、食卓の魚を追いかけることにしました。
■最後の晩餐
最後の晩餐とはイエス・キリストが磔刑の前夜に12人の弟子とともにした晩餐を指し、「主の晩餐」とも呼ばれているものです。新約聖書の「マルコによる福音書」14:17-26 や「ルカによる福音書」22:14-23に記述されており、イエスは裏切者を指摘するとともに、パンとブドウ酒をとって自らの体であり血であると言う場面です。つまり、「裏切りの予言」と「ミサの制定」です。
■ミラノの「サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ」ドメニコ修道会食堂の北壁に描かれているレオナルド・ダ・ヴンチの「最後の晩餐」は世界で名高いフレスコ画の一つです。今までに多くの修復が行われてきましたが、最新の科学的技法に基づいた修復が1999年に終わり、失った本来の色調が取り戻され、徐々に積み重ねてられてきた色の塗り直しを部分的に消すことができました。再生したレオナルドの傑作「最後の晩餐」を保護するため最適な状態が必要になったため、修道会の食堂に空気清浄機装置を設置し、また、1回15分ごとに25人だけを入れるなどの措置が講じられました。修復の結果、皿の上の料理は「魚」であることが判明しました。他に、丸型のパンと、レモンまたはオレンジと思われる果物(魚の風味をよくするためのものと思われる)が見られます。
■ダン・ブラウンによれば、権力基盤を強化したいと考えた教会の指導者たちが、西暦325年にニケーアで開催された公会議でイエスを神とする教義と、決定版の聖書を作り出したらしい――どちらもそのときまで存在しなかった、といいます。また、「キリストを表す最初の象徴は、十字架ではなく、魚だった。十字架がキリストの象徴として使われるようになったのは四世紀か五世紀」という話も紹介されています。
過越しの祭での料理は子羊の肉が供えられますが、「魚」とは初代教会においてキリスト教のシンボルとして用いられ、迫害時代には合い言葉として使われて、カタコンベなどにもこの印が見られます。「イエス・キリスト、神の子、救い主」を表すギリシャ語の頭文字をつづり合わせると、「さかな」を表すギリシャ語になります。
上画像は「最後の晩餐」ではありませんが・・・「奇跡の漁獲」と題される作品です。
■魚は初期キリスト教美術および文学において、十字架や子羊や生命の樹などとともに、キリストの象徴として用いられました。特に魚の図像は、古代ローマのカタコンベの壁画や地中海沿岸各地の石棺や墓碑の浮彫などに数多く発見され、最古のものは2世紀にさかのぼります。初期キリスト教徒が魚をキリストの象徴として使用したのは、ギリシア語で魚を意味する「イクテュス ichthys」が、〈イエス・キリスト、神の子・救い主〉を意味するギリシア語の五つの頭文字の組合せと一致していることと関係があると一般には言われています。魚と復活のキリストとの結びつきについては「ヨハネによる福音書」の21章に、イエスは十字架につけられたのち復活し、ガリラヤ湖で漁をしていた弟子たちの前に姿を現し、弟子たちが陸に上がってみると、炭火がおこしてあり、その上に魚とパンがのせてあったという記述があります。また魚は、洗礼との関連においてキリスト教徒を意味することにもなります。なお、欧米のキリスト教国、とりわけカトリック圏において、金曜日を魚の日 Fish day と呼び、獣肉を断って、もっぱら魚肉を料理に用いる習慣がありますが、これは金曜日がキリストの磔刑の忌日であり、断食日 fast day であったからなのですが、それでも魚肉は奨励されるものとしてあったのです。
■イエスの時代には、床に座り車座になっていたと想像されるのだが。このテーブル配置は当時の修道院における会食習慣に従ったもので、修道士たちは修道院長を中心として座し、あたかも、イエスや使徒たちと同席するかのような演出である。中央のイエスは、よく想像されているような憂いに充ちた髯を有する人物としてではなく、髯の薄い思慮深そうな壮年の姿である。ある宗教の初期において、神あるいは始祖の姿を具体化することには躊躇があった。仏教でも釈迦のイメージに代わり転法輪の形が、キリスト教ではギリシャ文字モノグラムιχθυσすなわち魚(イエスキリスト神の子救い主)が使われた。次いで5世紀頃まで、キリストは美貌の青年として表現される。おなじみの髯のあるイエス像が定着するのは、中世以後である。さて、食卓には料理の皿とワインそれにパンが並べられている。ユダヤの典礼通り、イエスの前には炙られた子羊、それに無酵母のパンそうして赤ワイン。パンには皿を用いず、魚も供せられている。魚は原始キリスト教のシンボルであるし、後継者聖ペテロはガリラヤ湖の漁夫であったのだから、これはむしろ当然の事なのだ。ユダヤ教でも鱗があり水中を遊泳する魚を食するのは許されている。調理法は焼き物かオリーブ油による揚げものだろう。赤ワインについてもやかましい規則があり添加物を含まない。ミサで用いられるのはAltar Wine と呼び、スペインのタラゴナ州産ブランド名Twelve Apostles甘く濃厚なものである。






