食卓の魚(6)
・・・でも、彼にはそれが出来ませんでした。「勿論、それは正しかった。でも、頭の狂ったドラッグ中毒の人たちが、わけのわからないお喋りを続けたり、バカなことをやらかしてないと、僕の創造力も枯れてしまうんじゃないかと恐れた。結局、彼らは、僕のインスピレーションの源だったし、彼らが居なくなったら、僕はやっていけるかどう聞くたびに生い立ちが違う。そんな男でした。でも、彼がこの近くで生まれたことだけは確実です。ペンシルバニア州、ピッツバーグ。本名はアンドリュー・ウォーホーラ。1928年8月6日の生まれです。両親ともチェコスロバキアからの移民でした。炭坑夫や建築作業員として働いていた父は、いつも留守がちだったと云います。「僕のことを知りたい?なら表面だけを見ていればいい。それが僕だ。裏には何も隠されていない」現在進行形の伝説が終焉したのは、1987年2月22日でした。
アンディ・ウォーホル、心臓発作により、死亡。58歳でした。晩年、彼は世紀の名作、ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』をもシルクスクリーンに写し取りました。 彼のこんな声が聞こえてきそうです。「意味有るものはおぞましい。無意味なものこそカッコイイ」彼は、全ての価値を疑いながら、芸術と戦い続けていたのかもしれません。ニューヨークという街で生まれたアートです。
アンディ・ウォーホル、彼は「最後の晩餐」に何を託していたのだろうか?彼の言う「無意味」そのものなのだろうか?
「描く」ために「生きる」、「生きる」ために「食べる」・・・
そこにあるのは「無意味」の「意味」のような気がしてならない。





