イラスト魚レーター(4)
■佐々木侃司(ささきかんじ) 北杜夫さんの「どくとるマンボウ」シリーズの挿し絵やサントリー赤玉ワインのパッケージをはじめ、ユーモアとペーソスあふれるタッチのイラストで、関西グラフィックアート界の第一人者として、活躍してきました。あの素晴らしき昭和時代をユーモアたっぷりに生きた「カンさん」こと佐々木侃司がこの世に残してくれた楽しい作品。
1946年少年期を過ごした大陸より、父の故郷である広島県山県郡八重町(現・千代田町)に引き揚げ。1946年八重中学(現・千代田中学)に入学。同時に野球部に所属。在学中に残した「1試合6盗塁」は今なお、同校野球部の記録。1952年八重高校卒業後、東京美大受験のため上京。あえなく玉砕。
読売新聞社にてアルバイトをしながらの浪人生活。この浪人生活中にディズニーの「ファンタジア」に遭遇。“動く絵”に驚愕!「動かない絵を勉強しているオレは一体ナンなのか?いつか“動く絵”の仕事をできるようになりたい!」…その願いを叶えるに30年かかりました。1953年京都市立美術大学(現・京都芸大)に入学。1954年俊足・好守の二塁手として、京都準硬式6大学リーグで頭画をあらわす。1956年在学中に日本宣伝美術会展初入選。1957年京都市立美術大学・工芸科図案専攻を卒業、株式会社寿屋(現・サントリー)大阪本社宣伝部宣伝技術課に入社。同時に野球部とサッカー部に所属。
1958年日本宣伝美術会会員推薦。1960年カバーイラストと挿し絵を担当した、北杜夫さんの「どくとるマンボウ航海記」が中央公論社より発刊、ベストセラーに。[北杜夫&佐々木侃司]のコンビが誕生。1963年サントリー宣伝部の東京移転に伴い、大阪本社デザイン室に転属。1964年日本漫画家協会入会。1965年日本宣伝美術会大阪地区委員就任。1967年「日本のイラストレーション年鑑」入選。1972年大阪芸術大学・映像計画学科、非常勤講師に就任。1978年サントリー株式会社を退社。同本社デザイン室嘱託勤務。1979年大阪芸術大学・映像計画学科、助教授に就任。1981年神戸ポートピア・松下館の「マルチアニメーション」の制作を担当。社団法人日本パッケージデザイン協会 監事に就任。1984年サントリー株式会社・大阪本社、嘱託勤務を退職。1985年大阪芸術大学・教授に就任。1990年大阪芸術大学・映像学科、学科長に就任。2005年1月24日、午前3時10分…佐々木侃司永眠。