魚の文学散歩(うぉーきんぐ)再び⑥
■宮沢賢治が理想郷イーハトーブとして思いを重ね、この広大な大地に思い限りない夢をふくらませた、北海道に次ぐ面積を持つ岩手県。太平洋側に優良な漁場で有名な三陸海岸を有し、水産資源に大変恵まれています。花巻で生まれた作家・宮沢賢治が遺した”イーハトーブ”という言葉、これは彼が心中に描いた現実には存在しない理想郷という意味の造語ですが、童話集「注文の多い料理店」の刊行に際し、自ら作った広告チラシのなかで「ドリームランドとしての日本岩手県」と解説しており、物心ともに豊かな地域社会”イーハトーブ”はこの地にあると考えられています。賢治は「そこではあらゆることが可能である。人は、一瞬にして、氷雲の上を飛躍し、大循環の風を従えて、北に旅することもあれば、赤い花杯の下を行く蟻と語ることもできる。」と讃えました。
そして、もう一人。忘れてはならない岩手県出身の作家がいます。
■石川啄木
本名、石川一。明治19年(1886年)2月20日「おもひでの山 おもひでの川」とうたい望郷の念を抱き続けたふるさと、岩手県南岩手郡日戸村(現玉山村日戸)の常光寺に生まれる。住職の父は一禎、母はカツ。明治20年、渋民村(現玉山村渋民)へ転住。明治38年、処女詩集『あこがれ』を小田島書房より刊行。堀合節子と結婚。文芸雑誌「小天地」を刊行。明治39年、渋民尋常高等小学校の代用教員となる。明治40年、函館市弥生尋常小学校の代用教員・函館日日新聞社の遊軍記者となる。函館の大火により職を失い函館を去り、北門新報社(札幌)・小樽日報社を転々とする。明治43年12月に刊行された処女歌集。551首を収めている。
●「一握の砂」
東海の 小島の磯の 白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる
ふるさとの 山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山は ありがたきかな
かにかくに 渋民村は恋しかり おもひでの山 おもひでの川
明治45年、4月13日、友人若山牧水や妻節子らに看取られる中、肺結核にて世を去る。享年、若干27歳。死後、第二歌集『悲しき玩具』が東雲堂書店より刊行。明治46年3月23日、啄木の妻の意志で、遺骨を立待岬に葬り、函館は啄木永眠の地となった。
●「立待岬」の名称は、アイヌ語の「ヨコウシ(待ち伏せする所、つまり、魚を捕るために立って待つ場所)」に因んでいるそうです。
彫刻家・本郷新さん制作の啄木坐像です。
■県魚「南部さけ」
岩手県産のさけは、古くから「南部のさけ」として親しまれています。人工ふ化されて北洋への長い旅に出、数年後産卵のため再び岩手の川に帰り、逞しく成長した姿をみせてくれます。来遊量本州一。(平成4年2月21日公募により決定)
岩手県には日本周辺水域に住む魚3000種類のうち約6分の1に相当する500種類あまりの魚類がいるとわかっています。魚類相の最大の特徴は、回遊性の暖流性のカツオ、マグロなどと寒流性の鮭類、ほっけなどの出現種が季節ごとに大きく入れ替わることです。岩手の海では黒潮の影響が強くなる春から秋と、親潮の影響が強くなる冬から春とで魚種の交代が起こり、1年を通じて魚の顔ぶれは変化に富んでいます。
■岩手県釜石市のグラフィック・デザイナー三浦正文さん(1949~)の作品
■釜石大観音(岩手県釜石市大平町3-9-1)
昭和45年4月に釜石市内の施主明峰山石応禅寺(曹洞宗)によって大平町鎌崎半島に建立されました。その趣旨は観世音菩薩の慈愛により幽界で迷い苦しめる霊魂に光明を与え菩提に導くこと、並びに現世に生きる人々を苦悩から救済することを主願とし、幽明両界の平和を祈念する観音様です。像高:48.5m・本尊:長谷川昂制作・棟梁:故大野力蔵・発願主:石応禅寺十七世雲汀晴朗・落慶:1970年・昭和45年4月8日。
本尊は魚籃観音、聖観音、十一面観音の三観音であります。祈祷、供養の中心道場です。
■岩手県は、旧盛岡藩(南部藩)の城下町であった盛岡が県の中心となったため、盛岡が属していた「岩手郡」の郡名から採って県名としました。明治新政府は、権力を中央に集めて国家の統一を強めるために廃藩置県を考えていました。1870(明治3)年、盛岡藩は盛岡県に変わります。盛岡藩は新政府の方針を先取りして、全国の各藩に先がけて廃藩置県に踏み切ったのです(全国的な廃藩置県は1871年(明治4年))。それには、次のような事情がありました。明治維新における戊辰戦争に参戦して敗北した盛岡藩は、「朝敵」「逆賊」の汚名とともに減封・転封の厳しい処分を受けました。そして再び盛岡への復帰を認められますが、その代償として70万両もの大金の献納という苦境に立たされます。献金減額の願いと新政府へ恭順の意を示す窮余の策として、廃藩置県を願い出て受理されたのでした。その後、1872(明治5)年に盛岡県を改称し岩手県になります。それは、戊辰戦争を戦った「盛岡藩」のイメージを断ち切りたかったからかもしれません。